2012年9月21日金曜日

天声人語の失言

インドのハイデラバド(Hyderabad)での反米デモ

事の起こり
ある反イスラム思想のアメリカ人が、予言者ムハマドを主題にした映画を作り、YouTube で流した。それが聖者を侮辱する内容であることから、抗議の反米デモが中東各地に広まり、現地のアメリカ大使館を攻撃して放火し、駐在のアメリカ大使と3人のアメリカ人が死亡するという最悪の事態にまで落ち入った。それについて、9月14日、朝日の天声人語子が下記の通りの評論を掲げた。(原文のまま)
天声人語
今年が生誕300年になるフランスの思想家ルソーが言っている。「理性、判断力はゆっくりと歩いてくるが、偏見は群れをなして走ってくる」(『エミール』今野一雄訳)。偏見に染まるのは早く、こびりついたら容易には消えないアメリカ社会のイスラム教への偏見は以前から根強い。2年前の今ごろ、フロリダの教会が世界に向けて「コーランを燃やせ」と呼びかけた。激しい反発がイスラム世界に広がったのは記憶に新しい今年に入って、米軍幹部の教育機関で、イスラム教徒の市民には空襲のような無差別攻撃が許される、といった内容の授業が行われていたことがわかった。あからさまな蔑視に驚くが、そうした空気を吸って軍人各層は育つらしいそして、また騒ぎである。イスラム教の預言者ムハンマドを侮辱する映像が流れ、怒った民衆の抗議で中東各地は荒れる。引き金になった映像は、炎上を狙って油にマッチを投げたようなものだ。偏見を通り越して、暗い憎悪が透けて見える「挑発に乗るな」という指導層の理性の声が細れば、事態はさらに危うくなる。時を同じくしてリビアの米領事館が襲撃された。これはテロらしいが、大使ら4人の落命が痛ましいアメリカという国の欠点の一つは「他国を手前勝手に理解すること」だと言われる。それが反発を生んできた。リビアの惨劇を怒りつつ、偏見と独善を消していく努力も望みたい。欲しいものは相互理解。こぶしを開かなくては、握手はできない。

偏見の上塗り
上記の通り、天声人語子は書き出しで『偏見』を糾弾している。
偏見を植え付けるのは容易で、偏見に染まるのは早く、こびりついたら容易には消えない、とあった。
それについては全く同感だ。

だが筆者はそれに続いて「アメリカ社会が持つイスラム教への偏見は以前から根強い」という一方的な前提で、ムハマンドを侮辱した映像がイスラム教徒たちを刺激し、反米デモから大使他3名の殺害事件という最悪事態にまで発展した経過を説明した。
続いて、「2年前にフロリダの教会が世界に向けて「コーランを燃やせ」と呼びかけた」例を挙げ、一人の狂信者の行為を、アメリカ社会全体の傾向でもあるかのような印象を与えた。

どうやら、『偏見』を糾弾した筆者自身がアメリカ社会に対する『偏見』をお持ちで、その偏見を読者に植え付ける結果を招いてしまったようだ。


「米軍幹部の教育機関で、イスラム教徒の市民には空襲のような無差別攻撃が許される」という軍部の方針はあったのかも知れないが、根拠は至って不確かである。
単純に「アメリカが他国を手前勝手に理解する」「偏見と独善」の国、と決めつけているのは、筆者の自家撞着(じかどうちゃく)、アメリカに対する偏見に他ならない。

コーランを燃やせと呼びかけた牧師も、ムハマドを侮辱する映画を作った男も、アメリカを代表する人物ではない。

アメリカは人種のルツボである。アメリカ市民の間にはイスラム教徒も大勢いる。かくいう私はクエーカー仏教徒であるし、その他無数の宗教や思想がアメリカに存在することをお忘れなく。

天声人語を愛読している一人として苦言を差し上げる次第。編集:高橋経

1 件のコメント:

JA Circle さんのコメント...

「偏見を植え付けるのは容易で、偏見に染まるのは早く、こびりついたら容易には消えない」とは真理である。