今は昔、毒舌で知られた大宅壮一(おおや そういち)なる評論家が、テレビ番組を手厳しく批判し、「今日のテレビ番組は我が国民一億人を白痴にする意図をもって制作されている、としか考えられないほど低俗で悪趣味なものばかり放映し、見るに耐えられない」と告発したことがある。かくして『一億総白痴化』なる言葉だけは流行したが、実際のところ大宅の諌言は一向に功を奏さなかったようだ。
理由は単純、テレビ局側の本音は、『白痴化』の意図より『視聴率』を上げることの方が先決問題で、一人でも多くの視聴者を獲得し、制作費を負担してくれるスポンサー、つまり番組の合間にコマーシャルを流す広告主を喜ばせることに汲々としていたのである。
もちろん『全て』のテレビ放送局が競って俗悪番組を制作しているわけではない。その一方で、スポンサーの要らない公共テレビ局が良心的な教育番組を提供していることに言及しなければ不公平の誹りを受けなければなるまい。
その良心的な番組については、いずれ稿を改めて論じることにしよう。
俗悪番組の制作を語る限りにおいて、その発想や社会組織から観察すると、消費経済の元凶であるアメリカに端を発していることは周知の通りだ。そこで本日のニューヨーク・タイムズ紙が取り上げた論争をご紹介し、読者の良識にによって判断されることを期待する次第。 編集:高橋 経
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テレビの視聴者は白痴になるか?
テレビのスイッチをひねって現れてくる画面を一瞥したとき、我々人類の頭脳は発達しているのか?それとも劣化させられているのか?と考えさせられてしまう。誰もが同じような印象を受けているかどうか、『その筋』のベテランのご意見を伺ってみた。