2010年3月5日金曜日

コーヒー党に朗報!

ジョアン・マンソン(JoAnn E. Manson, MD, DrPH)
医学博士 ハーヴァード・メディカル・スクール(Harvard Medical School)

コーヒーが健康を害するとお考えの方、ご安心あれ。数々の調査の結果、適量のコーヒー、、、一日にコーヒー・カップ2杯から4杯、、、なら、むしろ健康のために良いことが判った。

今の所、コーヒーそのものが『健康に良い』のか、含まれているカフェインの作用かが明快ではない。『カフェイン抜き(decaffeinated)』のコーヒー
にもその他の飲料、例えばお茶にも多少のカフェインが含まれている。カップ一杯のコーヒーには約100ミリグラムのカフェインが、紅茶にはその半分が含まれている。調査によると、コーヒーは、、、

◆ ある種の癌(ガン)発生を抑える効果:9種目の調査における分析によると、毎日カップ2杯のコーヒーを飲むと、肝臓ガンの発生率を43パーセントに抑えられる。また、コーヒーは結腸
ガン、直腸ガンの予防にもなる。

◆ 糖尿病の予防効果:20万人を対象とした調査で、その内一日に4杯から6杯のコーヒー(『通常』、『カフェイン抜き』に拘らず)を飲む人々は、2杯以下しか飲まない人々より、タイプ2型、糖尿病の発生率が28パーセント抑えられる。
<理由>コーヒーに含まれているクロロジェニック酸(chlorogenic acid)、反オキシダント(antioxidant)が、血管に
流入する糖分を妨げる効果をもっているからだ。

◆ 記憶力を保護:7千人の老人男女を対象に調査した結果、通常のコーヒーを一日3杯、又は通常のお茶を6杯以上飲む人々は、2杯以下しか飲まない人々に比べて記憶喪失率が低かった。

◆ 胆石の予防:8万人の看護婦を対象に調査した結果、一日2杯以上の通常コーヒーを飲む人々は胆石の発生率が20パーセント低かった。
<理由>カフェインが消化胆汁の働きを助け、コレステロールの結晶が形成して石化するのを抑え、胆嚢(たんのう)の収縮活動を刺激し、コレステロールが結晶するかしない内に排泄させるからである。


◆ パーキンソン氏病の発生を抑制:上記の看護婦を対象とした調査では、一日に1杯から3杯のコーヒーを飲む人々は、飲まない人々に比べてパーキンソン氏病(脳細胞の損失により筋肉の動きに不調が生じる症状)の罹病率が40パーセントも低かった。

◆ 身体の動作を向上:一日に2杯から5杯のコーヒーに含まれているカフェインは身体の耐久力を向上させる。体内の脂肪が蓄積されて炭水化物になる代わり、脂肪を燃焼させる働きをし、筋肉痛をやわらげる効果がある。

◆ その他の効果:コーヒー党は、コーヒーを飲まない人々に比べて、心臓マヒや高血圧などの障害になり難い傾向がある。コーヒーに含まれている脂肪分はコレステロールを高めるが、紙製のフィルターを使ってコーヒーを濾過すれば脂肪を抜くことができる。
(女性の場合)コーヒーが卵巣ガンや乳ガンの元凶になるという証拠は見当たらなかった。一部の女性は、コーヒーが生理前症候群や、線維性胸部疾患(良性の乳腫瘍)を悪化させると考えているが、調査の結果では何の証拠も見付からなかった。


ご注意:コーヒーはカフェインの多少に関わらず、消化不良の原因になることがある。またカフェインは、偏頭痛、不眠症、などを誘発する場合もある。動物実験によると、多量のカフェインを与えるとカルシウムの吸収を妨げて骨を弱くする、と報告されている。適量の摂取なら受胎障害や出産障害の怖れはないが、一日に200ミリグラム以上のカフェインを摂取すると流産の可能性が倍加する恐れが生じる。妊産婦にとっては、一日100ミリグラム以下のカフェイン摂取なら無難であろう。


何事でもそうだが、過ぎたるは及ばざるが如しであることをお忘れなく。

2010年3月4日木曜日

貨物列車、竜巻を突っ走る

もし映画会社が竜巻のシーンを撮るとしたら、大型の模型を作り、劇的な照明を当て、大旋風器で木の葉や塵埃を巻き上げ、火花を散らし、音響効果を上げ、逃げ惑う人々の狂乱ぶりを大スクリーンに映し出すに違いない。

そうした先入観でこのビデオをご覧になったら、大方は失望するであろう。



だが、このビデオは本物の竜巻を写した記録である。
カメラは保安用の小型で、ちょうど警察のパトロール・カーと同じように、列車の中間部の屋根に、前向きと後ろ向きの2台が取り付けられていた。このビデオは後ろ向きのカメラが撮った映像である。

始めの内は何も起こらないが、次第に雨の滴がカメラのガラス面に付着、次第に風が激しくなり、塵埃が舞い竜巻の通過。木々が大きく揺れ、そして脱線、後部車両が倒れ、カメラの車両が速度を落して引きずられる。連結部が壊れ、更に後ろの車両が速度を落とすことができず、鉄道との摩擦で火花を散らしながら突き進んでくる。そして、、、。

感情のない無人のカメラは、ただひたすらに同じ角度を保ったまま撮影し続ける。

荒れ狂う竜巻自体の凄まじさや、脱線後の惨事の模様はご想像にお任せする。

(このビデオはジョー・グレイJoseph Grey Jr.から転送されたもので、出所は明らかにされていません。)

2010年3月2日火曜日

必殺ダイアル、5678

ケイタイ電話に隠された弾丸
(今回の情報はエド・マンサー Edward Manser 経由で転送されたもので、情報源は確認できませんでした。)
テロリストの脅威が高まっている今日この頃、飛行場の警備システムは日増しに厳重になっている。先の、クリスマスの日、デトロイト空港で、あわやデルタ航空が爆破される寸前に容疑者が逮捕された事件は、耳新しい恐怖を巻き起こした。 あの事件で、容疑者の下着に爆発物が隠されていたことから、高性能のX線により身体検査を行うことが真剣に討議され、プライバシーの侵害だなどと物議がかもされ始めている。

既に、コンピューターやシャンプーが爆発物を隠す道具と見なされていることさえ我慢がならない、と無辜(むこ)の乗客は不平不満を訴えている。

その言い分は尤もだが、一般市民の安全を期しての措置だから警備官に協力するしかあるまい。そうでなくても、テロリスト達は、その警備の目を盗んで新兵器を次から次へと工夫しているのだ。


最新の恐るべき新兵器が、ケイタイ電話に潜んでいたことが発見され、ケイタイも重要な検査物の仲間入りをした。下に掲げたイラストが、その構造と機能である。一見、普通のケイタイと同じようだが、手に持ってみるとケイタイより重みが感じられる。


1. 引き金に相当。数字5、6、7、8のボタンを押して発砲する。
2. 銃身に当たる『弾道』
3. 0.22口径の弾丸  
4. 発砲ピン  
5. 撃鉄
(右下) 弾丸を4発装填する。


迅速な4連発式

この必殺ケイタイ銃は、ヨーローパの保安官が発見した。これでヨーロッパの保安警備の法律が、一段と厳しく変更されるであろう、とのことだ。


飛行機を利用する旅客として、空港の警備が厳しくなり、煩わしくなったからと不平を言う代わりに、こうした脅威を未然に防ぐべく躍起になっている警備官たちの労苦に感謝し、協力しようではないか。

2010年3月1日月曜日

華麗な氷上の乱舞

ヴァンクーヴァーで開催された2010年、冬期オリムピック、華麗にしてダイナミックなフィギュア・スケートの実況は、既にテレビでご覧になったことと思います。あの洗練された動きは、静止した写真では再現できませんが、思い出のアルバムとしてご鑑賞ください。

写真は、ニューヨーク・タイムズのダグ・ミルス(Doug Mills)、チャン・リー(Chang W. Lee)によって撮影されたものです。

金メダルを争う二人の演技
左はキム・ヨナ;右は浅田真央

金メダルの演技
金妍児(キム・ヨナ):南朝鮮;228.56ポイント

銀メダルの演技
浅田真央:日本;205.50ポイント

ブロンズ・メダルの演技
ジョアニィ・ロシェット(Joannie Rochette):カナダ;202.64ポイント

入賞を逸した演技
左から:クワック・ミンジャン(Kwak Min-Jung)、南朝鮮;
レイチェル・フラット(Rachael Flatt)、アメリカ
: ミライ・ナガス(Mirai Nagasu)、アメリカ

芸能的な演技
左から時計廻りで:
メリル・デイヴィスとチャーリー・ホワイト(Meryl Davis & Charlie White)、アメリカ;
ケヴィン・ヴァンダ・ペレン(Kevin van der Perren)、ベルギー;
テッサ・ヴァチウとスコット・モア(Tessa Virtue & Scott Moir)、カナダ;
オクサナ・ドミニナとマクシム・シャバリン(Oksana Dominina & Maxim Shabalin)、ロシア;ジョニィ・ウエア(Johnny Weir)、アメリカ;
アレキサンドラ・ザレツキとロマン・ザレツキ(Alexandra & Roman Zaretsky)、イスラエル


金メダル演技の解説
キムの写真をクリックすると、ニューヨーク・タイムズの動画がでてきます。ご鑑賞下さい。

2010年2月26日金曜日

新刊書:『ヒロシマ発、最終列車』

原爆の衝撃、真の恐怖は投下後に

ドワイト・ガーナー(Dwight Garner)
2010年1月19日付け、NYTの書評から


広島と長崎へ投下された原爆を体験した二重被爆者山口彊(やまぐち つとむ:右の写真)が、去る1月4日に後遺症が元で亡くなった。享年93才。二度の被爆は不幸だったが、生き延びたのは幸せ、と賞賛の的になった。

だが、二度も被爆した者、、、広島で被爆し、命からがら長崎へ落ち延び、再び被爆した者は山口彊だけでなく、他に165名もいた。こうした『二重被爆者』の体験話を中心とした記録をチャールス・ペレグリノ(Charles Pellegrino)がまとめヒロシマ発、最終列車(The Last Train From Hiroshima)』というタイトルで著書を書き、最近発行された。これは人々の関心を喚起する貴重な著作である。(下は著者と本)


グラウンド・ゼロという言葉は広島と長崎の原爆投下に語源を発し、以来使われるようになった。あのアメリカの最新型爆弾の洗礼に間近に遭遇し、生き残った人々の幸運には衷心から感謝せねばなるまい。被爆者は正に的確な『時』と『所』に居合わせたのだが、人工または自然の遮蔽物の陰にいたため、ガンマ線や赤外線などの殺人光線や、強烈な爆風に直接曝されず助かったのである。(下の右は広島;昭和20年8月6日;下の左は長崎;昭和20年8月9日

こうした被爆し生き延びた人々は、その体験から体得した知識を発表することを、当初軍部から禁じられていた。アメリカ軍の破壊力を知らせると、負け戦を露呈することになり、日本国民の闘志(もしあったとしたら)を挫かせることにもなる、と戦争指導者たちが怖れたからである。それでも、被爆者たちは体験と知識を秘かに語り伝え、それで救われた人々もいた。

核兵器が何であるかを知らなかった被爆地の人々は、原爆をピカドンと呼んだ。ピカは最初に炸裂した時の『閃光』で、ドンは数秒遅れて聞こえてくる耳をつんざくような爆発音である。『ピカ』を見たら即座にうずくまれば『ドン』の衝撃を受けないで済むかもしれない、という知恵が生まれた。

また、白衣が防御の役に立ったことも判った。ペレグリノの本の中では、或る医者の「女子供たちが柄(がら)のある服を着ていて被爆し、例えば色の濃い花柄だとしたら、その花柄の下の肌が火傷し、消えない烙印となって残された」という証言などが記されている。
その他には、爆撃機 B-29が急降下したり脱出する時、エンジンに荷重がかかり異常な爆音がするので、それは危険極まりない事態を知らせる音だという知恵も生まれていた。

被爆者たちはもっともっと他にも原爆について知った。腕時計の金属が手首に消えない火傷を残し、即座に放射能病に罹った。原爆はいうなれば巨大な電子レンジの役割を果たし、あらゆる金属を灼熱させてしまったのである。


多くの人が、人間が焼け爛れる(ただれる)時の匂いは「まるでイカをコンロで焼いている匂いと同じだ」と証言した。ペレグリノは更に「焼豚の肉をイカと一緒に、、、」とも付け加えて書いている。そして、言うまでもないが、被爆後の後遺症、日本人が原爆症という症状が被爆後もしばしば現れていたことだ。

ヒロシマ発、最終列車は、そうした原爆の脅威の数々を明確に羅列した目録であり、胃弱の人が読んだら腹痛を起すかもしれない。ペレグリノは、廃墟の市街をのろのろと虚ろ(うつろ)に行進する被爆者たちの様をコーマック・マッカーシィ(Cormac McCarthy)著の『ザ、ロード(The Road)』『月よおやすみなさい(Goodnight, Moon)』の叙述に例えている。いわゆるアリの如く歩むワニ(ant-walking alligators)』と形容される被爆者、、、「目が無く、顔が無く、、、黒く焼けたワニのような頭が、口と思われる赤い穴を隠した」男女が至る所で見られた、と描写されている。


筆者は続けて「ワニのような人達は悲鳴も上げなかった。彼らの口は声を出す機能を失っていた。彼らが出す呻き声(うめきごえ)は、悲鳴より聞き辛かった。彼らは、真夏のイナゴが夜中に騒ぐような音を発して、引っ切りなしに呻いていた。一人の男は、焼け焦げた足でよろめきながら歩き、死んだ赤ん坊を逆さにブラ下げて掴んでいた」と書き現している。


ペレグリノが過去に書いた著書にはタイタニック号の幽霊(Ghost of the Titanic)』を含み、生存者の談話だけでなく、日米の飛行士たち、その他数々の関連した話も書いている。また同氏は、映画製作監督、ジェームス・キャメロン(James Cameron)タイタニックや最新の映画アヴァター(Avatar)』などの科学的な裏付けの相談役も引き受けている。


著者が特に犯罪化学的な詳細に神経を使い、原爆の炸裂の状況を、丁寧に、段階的に説明している。それは特に目新しい事実ではないがヒロシマ発、最終列車は、地に付いた、全編を通じて、読者を魅了する当時の回想や文献、そして筆者自身の被爆者インタビューや調査で埋められている。この本は、リチャード・プレストン(Richard Preston)に影響を与えたジョン・ハーシィ(John Hersey)マイケル・クリチトン(Michael Crichton)の作風にも通じ、評判の高い戦時中の歴史文献として異彩を放つ作品である。


この作品は、原爆投下の決定について道徳的な真意を掘り下げてその是非を問うために書かれたものではない。だが、ポール・フュッセル(Paul Fussell)「ヒロシマへの原爆投下の要因である太平洋戦争に関する情報を碌に与えないで、アメリカ人の多くにショックを与え、恥辱感を植え付けた原爆投下は、有る意味では神の救いだ」と主張していたが、ペレグリノがその論説に同調しているわけでないことは確かだ。


むしろ、筆者はあらゆる種類の破壊事実を検討し、そして様々な精神的な面も見落としてはいない。彼はある医師「一般的に被爆者は、悲鳴を上げている人々、あるいは火焔から遠ざかっている人々、そして一緒にいる人々の中の被害者や友達が悲鳴を上げていても、素知らぬ顔の出来る人達だったことが記憶に残っている」と語った言葉を聞き逃さず書き記してある。

その医師の告白:「あの瞬間、火の手が廻って病院に近付いてきた時、その場に踏み止まっていた我々、人々を裏の丘の上に導いた我々が結果として生き延びました。つまり、爆弾から生き延びたのは、ただ運が良かったからでなく、多少なりとも自分勝手で、、、理知的でなく本能的に行動したからです。生存者は誰でもそのことを自覚している筈です。」

冒頭に掲げた『二重被爆者』の山口彊は、核戦争を止めさせる運動計画を推進する組織の一人だった、とペレグリノは書いている。その運動計画とは「母親、、、赤ん坊を自らの胸から乳を含ませている母親だけに、国を治める資格を与えるべきある」と主張していたものである。
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書籍案内:(今のところ、日本語に翻訳出版されているかどうか不明です)
書籍はアマゾンで購入できます。価格は約16ドル。Amazon.com

2010年2月23日火曜日

東京ラーメン:その文化、こだわり、繁栄

はじめに編集から:私は子供の頃からラーメンが大好き、母に「お誕生日に何をご馳走しようか?」と聞かれるとためらいなく「ラーメン!」と答えたものでした。長じて社会人になってからでも、外食する時はおおむねラーメンの旨い店を選びました。誰かが「東京では中野でラーメンの店が競っている」と言ったのを小耳にはさみ、早速出掛けてラーメンのハシゴに挑戦したのです。私の胃袋も若かったから、最初の3軒たて続けに3杯、料理人に敬意を表し、汁も残さず平らげましたが、流石に4軒目で挫折してしまいました。こんな話は自慢にならないので、殊にグルメの食通には話さないことにしています。

今でもラーメンは二日に一度は自前で調理しています。生麺が近隣で手に入らないので、止むを得ずインスタントを使いますが、野菜、肉、エビなどを投入して栄養価を高めるよう心掛けています。
先日、今回のニューヨーク・タイムズ記者の探訪報告を読んで。東京のラーメン文化が驚異的に成長多様化し、外人まで病み付きになっていることを知り、ご同慶の至り、隔世の感に堪えません。

マット・グロス(Matt Gross)
1月31日付け、NYTから

東京、早稲田大学の近く、セヴン・イレヴンの角を曲がった横町に、ラーメン屋らしくないラーメン屋がある。事実、その頑固(ガンコ:右と下の写真)』という店の名に相応しく、得体不明な店構えである。看板もなければ、窓もない。荒っぽい黒いタープ(ビニール・シート)がテントのように壁に下げられ、商売のシンボルでもあるかのように、白い動物の骨がぶら下がっているだけだ。(右の写真) タープをくぐり、引き戸を開けると『頑固』の店内、止まり木椅子が五つ、ベニア張りのカウンターの前に並び、顔を上げると小さな調理場からの細い隙間が、間断なく立ち上る湯気や煙で真っ黒に、しかし汚い感じではない。

調理人はたった独り、無精ひげのまま、蒸気で曇った眼鏡をかけ、襟にタオルを引っかけ、正に『頑固』丸出しの風体だ。慣れた手さばきで、手際よく並べた丼にソバや汁を満たし焼豚、メンマをのせ、海苔をパラパラ、刻みネギをポロポロ、で出来上がり。その間ずっと無言。

音といえば、客がソバやダシの利いた汁をズルズルとすする音だけ。火傷しそうに熱いソバ汁をすする音は、かすかに聞こえるラジオの音楽を背景に、大らかに、長々と、調理人の腕を讃えるかのように合唱し、音響効果の役割を演じている。


「ごちそうさま。」一金700円也、を支払って白昼の横町に出ると『頑固』での体験が幻覚の世界で起こったような気がする。


と言うと『頑固』が、隠れた秘密社会に存在する店、という印象を与えたかも知れない。でも私は『頑固』を、英語のブログ<Ramenate!>に公開されていたから知ったのだ。そのサイトは、近代日本文学で博士号を取る卒業論文を書いているコロンビア大学の学生が始めたものである。彼にとって日本文学より大事な課題は、毎日ラーメンを食べ歩いて、系統だったデータを作成することである。

Ramenate!だけが、ラーメンに関する唯一のブログではない。他にも日本語、英語で幾つものブログがラーメン情報を公開している。ブログの他に、多国語のガイドブック、色刷りのラーメン情報雑誌、データベース、コミック本、テレビ番組、映画(古典になった『タンポポ(1985年)』など)、それらを綜合しても、東京におけるラーメン事情の、ほんの一部を紹介しているに過ぎない。

(日本を知らないアメリカ人に)これだけ言っても納得いかなかったら、ニューヨーカーのピザ好き、ホトドッグ好き、ハンバーガー好き、などを思い起してみればよい。東京人のラーメンへの『こだわり』はそれに匹敵、またはそれ以上なのである。

ここで紹介しているラーメンは、学生間で流行っている例の乾燥したインスタントではない。有名な店のラーメンでも、ちっぽけな屋台のラーメンでも、全て生麺を使っているのだ。手製で、自家製の汁、赤ブドー酒に漬けた豚肉、醤油味の鶏ダシ汁、豚骨(とんこつ)のダシ汁、といった材料が九州から本州へかけての好みのようだ。札幌のニンニク風味のミソ味の濃い汁で太目のソバも満更ではない。いずれにしても、風味は調理人が工夫して創り上げるもので、時代の変化にも影響され移り代わっている。


去年の11月、私は6日以上も続けて東京のラーメン文化にどっぷりと浸ってみた。有名な店から小さな店まで、一日平均4杯を標準に食べ歩き、何が味の決め手になるかという材料調べだけでなく、注文の仕方、ラーメンの食べ方、などの作法まで身に付けた。こうした探訪をしながら、私は何故こんな単純な『食べ物』(17世紀中、孔子の教えを広める使者たちがもたらした食品)が、日本人ばかりか我々外国人まで夢中にさせたのかを知れば、東京そのものをもっと深く理解できるのではないか、と考えるようになった。

私の探訪記事のネタは、サンフランシスコで英語を教えていた31才のブライアン・マクダクストン(Brian MacDuckston)が出しているウェブサイト<RamenAdventures.com(このサイトは目下不能)>に負うところが大きい。長身で色白、禿げ上がって眼鏡が似合うマクダクストンは、すらりと細く、その容姿自体がソバみたいだ。事実、彼は3年半の日本滞在中に体重が減った。料理ブロッグ家達の間では傑出した存在である。


彼は、来日当初、ラーメンはほとんど食べなかった。池袋のしゃれたラーメン屋無敵屋(むてきやの写真)』の前に、45分はたっぷり待たされる客の列が並んでいるのに気が付いてから数ヶ月経った2008年の1月、その列に並ぶ決心がつき、初めて丼に箸を付けた。

「その時は、すごく美味しいと思った」と回想する彼。焼豚がたっぷり載ったその店の特製ラーメンが、最近テレビで紹介された。「焼豚の切り身、シチュウの豚肉、そして豚肉のミートボール、おまけに豚の挽き肉の山、信じられない位の旨さでしたよ」思わず彼は唾を飲み込む。


彼はすっかり病み付いきになった。以来、インターネットで評判の高い店を検索しては店を探し当て、何時間も行列に並んだ。「まるでバカ丸出し、と思うでしょう。たかが汁ソバを食べるのにですよ、二時間も並んで待つなんて。何か強烈に惹かれるものがあるんです」彼は告白する。まあ、バカ、気違いと言ってしまえばそれまでだが、僅かな仕事と失業保険で暮らしている内にブログを始めた、という訳だ。

今でも相変わらず『無敵屋』の行列は続いているが、マクダクストンの舌は肥えてきて、その豚骨スープより優れた味が他にもあることや、ソバがやや茹で過ぎであることまで判るようになった。『無敵家』の次に(なぎ右の写真)』で試食し、すっかり気に入ってしまった。本店、支店が何軒かあり、彼が行ったのは渋谷の繁華街にある支店だった。一夕、マクダクストンがその店へ私を案内してくれた。二年ほど前、私は友人と何か食べ物屋を探しながらその静かな一郭を散策した記憶が残っていた。その時は、その辺りに東京で人気の高いラーメン屋があるなどとは知らなかった。

よくある勘違いだが『凪』の店構えは、ラーメン好きの客で繁盛している店、というより高級料亭の風格があったからだろう。食堂はしっとりと落ち着いた雰囲気、壁は茶色い小麦粉袋が貼られ、一般的な自動販売機で食券を買うのではなく、ウエーターに注文し、彼は客の好みのソバの茹で加減(堅めか柔らかめか)まで確かめる。我々は、腰の強い茹で加減(バリ)を頼み、注文通り、美味しいモチモチで堅めのラーメンが運ばれてきた。旨いの何の、それは絶品で、でも丼に汁が残ったので、ソバ玉の追加注文をして平らげたほどだった。


何日もかけ豚骨を茹でてとったダシ汁も絶品、載っていた柔らかい焼豚や半熟卵も絶品というラーメンがこの『凪』という店の身上である。 次にマクダクストンが連れて行ってくれたのがバサノヴァ(Basanova:左の写真)』、渋谷から私鉄で二、三駅先、近隣があまり芳しくない環境だったが汁の味は最高。『バサノヴァ』の特製はグリーン、カレー・ラーメン、日本人好みに合わせ、タイ風味を巧みに取り入れていた。口にすすり込んだ時ピリっとした辛子が舌に、レモンとライムの香りが鼻に、しかし、本質は日本固有のラーメンである。この味はバンコックでは見つかるまい。

『凪』同様、『バサノヴァ』はゆったりと落ち着ける店だ。但し、ここには食券の自動販売機が置いてあり、ステインレス・スチール張りのカウンターで食べさせる。従ってビールの一杯でも呑む気にもさせる。店主は写真を撮られるのに嫌な顔も見せず、かえって我々と言葉を交わすほど愛想がよかった。彼の話では、両親が日本の反対側(裏日本のことであろうか)の出身だったので、様々なラーメン味を体験し、それらが融合し、結果としてこの店の味となったのは当然の成り行きだったらしい。

マクダクストンと私が店を出たら、後から若い女性も出てきた。通りで私たちに近付き、自分は長島カナという者で、10年程シンガポールの大学でラーメン・クラブを組織していたが最近帰国した、と自己紹介した。たいへんに快活で『バサノヴァ』のラーメンには我々同様に印象付けられたようだ。別れ際に、マクダクストンと彼女は同好者としてお互いの連絡先を交換していた。

他の素敵な『融合味』は更に西へ下ったイワン・ラーメン( Ivan Ramenの写真)』で体験した。創始者は、当年46才の生粋のニューヨーカーで、ルテチェ(Lutèce)でコックをしていたイワン・オウキン(Ivan Orkin)。東京へは日本人の妻と息子と2003年に移住し、収入の道を求め、ラーメン屋が面白かろう思い付いた。準備を済ませて始めたのが2007年、他国の伝統料理に挑戦するのは難しかろうと危ぶまれたが、商売は当たった。彼の恐るべく単純な塩味、醤油味、一本やりの汁、それと少し変わったライ麦粉から作ったソバ、汁を別に添えたツケ麺は評判になった。それは、コンビニエンス・ストアのサークルKにも卸し、店の前に20人は並んで待つほどになった。

オウキンに言わせると「日本人がラーメンに取り付かれた理由は、その味が普遍的なものだったから、、、」だそうだ。「値段から言っても、誰でも払える価格です。丼一杯の盛り付け、単純にバランスが取れています:汁、ソバ、添え物、全てがまとまっているでしょう。だから一杯のラーメンを食べると、誰でも必要な食材料が腹に収まるのです。」なるほど、尤もだ。

バランスと言えば、斑鳩(いかるが:右の写真)』ほどバランスがとれたラーメンはないであろう。その店へは、香港から来日したメター・チェン(Meter Chen)と彼の助手、横井なお子と試食した。芸能関係の仕事をしているチェンは、中国語でラーメンについての本を書いた。店の外で20分ほど待たされている間、チェンは『斑鳩』のロゴを見て「この店の味の良し悪しは別として、ここの店主はデザインに気を配っている」と褒めていた。

店に入ると、照明が明るく穏やか、テーブルやカウンターとの間が広くとってあった。調理人やウエーターは応対が快活で優しく、黒いシャツのボタンはきちんと喉元まで止められ、微笑をたたえていた。正にオアシス、典型的なラーメンの男性的なイメージを拒絶しているラーメン店のガイドブック女性のヌードル(ラーメン?)・クラブで推薦されたのも無理からぬことだと納得した。

で、『斑鳩』ラーメンの味は?正統なラーメンから見たら異端者のようだが、豚骨ダシの汁に微かなカツ節を嗅ぎ取ったし、焼豚の切り身の縁にキャラメルの甘味が残り、新鮮で、ソバを口に入れ、半熟卵を噛んだ歯応えも脂気は少々。ここのラーメンで完璧さと満足感を堪能した。


一口に完璧と言っても様々だ。『斑鳩』と対照的なのがラーメン店チェーンの二郎。この店に病み付きになっている42才のアメリカ人、ボブ(Bob:姓を名乗らない)は<RamenTokyo.com>というブログを制作している。細身のマクダクストンが『ソバ』なら、ボブ肉付きのよい豚といたったところだ。フランチャイズ『二郎』の33支店を悉く試食するという意欲に燃えているのも頷ける。(左の写真は『中華そば井上』)

ボブは「(『二郎』は)ホワイト・キャッスル(the White Castle:ハンバーガー、チェーン)のラーメン版です。この店のラーメンは、安くてお手軽、守るべき伝統的ルールを無視しています。丼は大型、ソバは粗め、汁は濃く、モヤシやキャベツが山盛り、細切れの豚肉はニンニク漬け、それにニンニク、又ニンニク、丼から溢れる程です。味といったら信じられない、何とも形容の仕様がありません」と説明してくれた。


全くその通り、ある意味では完璧に凄い丼だ。私はこの化け物丼に挑戦したが食べ切れなかった。45分も並んで待たされるからには、と期待に胸をふくらませた結果がこの様(ざま)とは、私の予測も当てにならなくなってきた。マクダクストンに言わせれば狂気の沙汰だ。それとも、私は皆と同じようにラーメン党になってしまったのかも知れない。

東京で数日過ごした後で、私はラーメンの人気に関して幾つかの考察を引き出した。1958年代の都会の地下に繁栄した洞窟のような新横浜ラーメン博物館(左の写真)には、有名なラーメン店の支店が何軒も建ち並んでいた。その展示で「1960年代の日本が産業復興と共に、日本人の食生活に西欧の美食(グルメ)が移入され、ラーメンが冷遇された。それが1980年代となると、影響力の大きい新世代が、ラーメンのルーツを掘り起こしたのである」と説明されていた。

チェンのアシスタント、横井なお子「若い人々の間でラーメンが流行の先端として考えられるようになりました。どのラーメン屋が格好(かっこ)良く、有名店がどれかを熟知していることが人格の一部として評価されているんです」と分析していた。


ボブはずばり「この世の中でソバが嫌いな人なんていません」と断言。

多くのラーメン党にとって(私も含めて)、思うに追求の一語に尽きる。新聞、雑誌、テレビ、その他のマスメディアを通じて『追求』するか、足で探し廻るか、嗅ぎつけるか、行列のある店をキョロキョロして探すか、東京だけで4千137軒(内輪に見積もって)もあるラーメン店から好みに合った店を『追求』する骨の折れる作業は、すすった汁の味の旨さを発見した瞬間に報いられるであろう。

墨のように真っ黒に「焦げた」五行(ごぎょう)』の味噌ラーメン(左の写真)、その穴蔵みたいな店を迷いもせずに探し当てた挙げ句の試食だったら、好きになれるのではなかろうか?若し中華そば井上のスタンドで、ごく月並みな醤油ラーメンを年配の調理人から出された時でも、すぐ近所の築地の魚河岸で観光客が大枚を出して寿司を味わっていると知っていたら、私は通(つう)と言えるのではなかろうか?若しマクダクストンと私が、どの店も閉まっている雨の日に1キロ以上も歩いてけいすけ、四番店に辿り着き、鍋盛りツケ麺にありついたら、それにかぶりつくであろうか?

といった考察を繰り返してみると、それ以外に報われたものがある。私は、悪名高い東京の迷路のような道路をどのようにに歩き廻って目的地に到着できるかを体得した。その間、私の日本語は、ほんの少しだが上達した。そして、私は如何にラーメン党同士が、その生まれ、人種、履歴の如何に拘らず、難しいことでも通じ合うことができることを経験した。私が単に「何を」求めているかを表現しただけで、特定の店を推薦され、その説明を受け、そして「一緒に」と誘われることもあった。

ある夕方、私がソヒィ・パーク(Sohee Park)とチーズ粉まぶしのラーメンを食べていた時、2008年に公開された、ブリタニー・マーフィ(Brittany Murphy)扮する野心的なラーメン調理人が主人公の映画ラーメン・ガール(The Ramen Girl)』が話題に上った。彼は結論として(私も同感)
試してみるのは愉しことだった。

「試してみるのは愉しい」だけでは充分ではなかろう。だが東京では、、、この大都
は、しばしば、あらゆる機会が開放されて体験できる反面、しばしば、特殊な社会が閉鎖的で、、、「試してみるのは愉しい」機会はまだまだ未開拓の分野だ。それは固く閉ざされているものを軟化させ、病み付きこだわりの瀬戸際で、45分も無駄な時間を潰したり、「火曜日休業」の札に失望したりすることもある。

例えば、マクダクストンと私が『凪』で食事をした晩のこと。渋谷の雑踏をかき分けていた時、ある若い人々の列が通りにはみ出しているのをチラと見付けた。彼はラーメンを『追求』する欲望に満ち満ちた眼差しで、列のドン尻にいた女性に「何を待っている列ですか?」と日本語で尋ねた。彼女の答えは「エレベーターです。」

ともあれ、我々は『追求』し、渇望して挫けることはない。どこかで我々を待っているに違いない、次に試食するラーメンの丼に素晴らしい味を発見するまでは、一晩中歩き廻っても構わない意気込みだ。
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インターネット案内の一部
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ラーメン店の所在地
★ 頑固がんこ, 新宿区西早稲田3-15-7 電話なし
★ 五行, 港区西麻布1-4-36 ; (81-3) 5775-5566; ramendining-gogyo.com
★ イワン・ラーメン, 3-24-7 世田谷区南烏山; (81-3) 6750-5540;  ivanramen.com
★ 新横浜ラーメン博物館, 横浜市港北区新横浜2-14-21; (81-45) 471-0503;
    raumen.co.jp/ramen/
★ 斑鳩いかるが, 千代田区九段下1-9-12; (81-3) 3239-2622; emen.jp/ikaruga
★ バサノヴァBasanova (または Bassanova), 世田谷区羽根木1-4-18; (81-3) 3327-4649
★ 中華そば井上 4-9-16 Tsukiji, Chuo-ku; (81-3) 3542-0620
★ , 渋谷区東1-3-1; (81-3) 3499-0390; n-nagi.com
★ けいすけ四番店, 文京区本駒込1-1-14; (81-3) 5814-5131; keisuke
★ 無敵家, 豊島区南池袋1-17-1; (81-3) 3982-7656; mutekiya.com
★ 二郎, 本店、支店の所在地、営業時間などは ramentokyo.com/2007/06/ramen-jiro.html

2010年2月18日木曜日

氷の大祭典:アラスカ版

アラスカ州、フェアバンクスで開催された氷の祭典(The Fairbanks Ice Festival, Alaska)。先日公開した満州の『氷の大祭典:ハルビン版』とは一味違った趣きがあります。ルース・ノーランド(Ruth Nowland) 経由で転送されてきました。下に掲載した写真をご覧下さい。特に個々の説明はありません。ご想像にお任せいたします。