2011年12月16日金曜日

ゴールデン・グローブ賞の行方?


12月15日付け、NYTから抜粋
ゴールデン・グローブ賞(The Golden Globe Award)とは、2011年の間に公開された劇場映画やテレビ映画から優れた作品を候補として選び、その中から脚本、製作者、監督、俳優その他各部門の最優秀者に与えられる賞である。同賞は、毎年春に行われるアカデミー賞授与の祭典に先立って行われるので、映画ファンの興味を盛り上げるのに効果があるようだ。
ゴールデン・グローブ賞は、ハリウッド外国通信協会(Hollywood Foreign Press Association: HFPA)のメンバー93名から成り立ち、1944年1月、ロサンゼルス、20世紀フォックスのスタジオで第1回の祭典が発足した。今回が69回目の祭典で、年明けの1月15日が予定されている。
2011年の候補作品は次の通り。
『アーチスト(The Artist)』はハリウッド映画の初期を思わせるサイレント映画仕立て。コメディ部門とミュージカル部門を含め、6部門の候補となっている。

ドラマ部門の最優秀映画候補としてジョージ・クルーニー(George Clooney:左)主演『子孫たち(The Descendants)』。

同じくドラマ部門で対抗しているのが『手伝い(The Help)』で、主演女優賞候補にヴィオラ・ディヴィス(Viola Davis:右)と助演賞候補にオクタヴィア・スペンサー(Octavia Spencer:中央)が挙げられている。

『ドラゴンの入れ墨がある女(The Girl With the Dragon Tattoo)』を演じたルーニィ・マラ( Rooney Mara)も主演女優賞候補になっている。

チルダ・スイントン(Tilda Swinton)も『ケヴィンのことで話し合わねば(We Need to Talk About Kevin)』で主演女優賞候補に挙げられた。

『鉄の夫人(The Iron Lady)』で、元イギリス首相マーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)夫人を演じたベテラン女優メリル・ストリープ(Meryl Streep)も主演女優賞候補に挙っている。

ジョージ・クルーニー主演の『3月15日(The Ides of March)』は最優秀作品候補。

主題役を演じたレオナルド・デカプリオ( Leonardo DiCaprio)は『J. エドガー(J. Edgar)』で最優秀男優賞の候補。

『恥辱(Shame)』で色情狂を演じたマイケル・ファスベンダー(Michael Fassbender)はドラマ部門で最優秀男優賞の候補。

スチーブン・スピールバーグ(Steven Spielberg)作品、第一次大戦のエピソード『軍馬(War Horse)』も最優秀作品候補に挑戦。

ドラマ『アルバート・ノッブス(Albert Nobbs)』の主演、グレン・クロース(Glenn Close)は、最優秀女優賞と共に、テーマ音楽の最優秀作詩、作曲の候補に。

野球にまつわるドラマ『マネーボール(Moneyball)』で主演したブラッド・ピット(Brad Pitt)は最優秀男優賞の候補に、作品も最優秀作品候補に。

マーチン.スコーシィズ(Martin Scorsese)製作、エイサ・バターフィールド(Asa Butterfield)と、クロー・グレース・モレッツ(Chloe Grace Moretz)共演の『ヒューゴ(Hugo)』は最優秀作品候補に。

ウディ・アレン(Woody Allen)製作の幻想的ロマンス、オーウエン・ウイルソン(Owen Wilson:右)とカーラ・ブルニ(Carla Bruni:左)共演の『パリの真夜中(Midnight in Paris)』は最優秀ミュージカル、又はコメディの候補に。

『五分五分のチャンス(50/50)』は、ガンを宣告されたセス・ローゲン(Seth Rogen:左)とジョセフ・ゴードン-レヴィット(Joseph Gordon-Levitt)が共演する二人の親友の話。(候補部門は不明。)

『花嫁の付き添い(Bridesmaids)』は、最優秀コメディ、またはミュージカルの候補に。

『マリリンと共に一週間(My Week With Marilyn)』は、最優秀コメディ、またはミュージカルの候補に、主演のミシェル・ウイリアムス(Michelle Williams)は最優秀女優賞の候補に。

『血と蜜の國で(In the Land of Blood and Honey)』の製作で初めて監督になったアンジェリナ・ジョリィ(Angelina Jolie)は、優秀外国映画賞の候補に。

2011年12月5日月曜日

余談:あるドイツの空港

今から百年前の1911年、世界最古のクナフィンゲン空港(Knuffingen Airport)が開港した。当時は僅か45ヘクタールの小規模だったが、100年の間に時代とともに成長し、今日では1,254ヘクタールに拡大した。
先ず、次の動画で同空港を展望してみよう。



 ターミナル


乗客その他の出入りが激しいターミナルの入り口


その夜景


実は以上の映像は実景ではなく、上の写真でご覧の通り、縮尺モデルを撮影したものである。実在のハンブルグ空港を基本にし、制作に足掛け6年を費やして完成したモデル空港は『クナフィンゲン空港』と名付けられた。40台の旅客機はオートマチックに発着し、90台の自動車が常時空港内を走り回り、モデルとは思えぬ迫力を出している。この巨大なセットは、ハンブルグ市内のミニアチュア・ワンダランドの一部となり。去る5月に一般公開の運びとなり、観客の人気を集めている。

2011年11月30日水曜日

飛行機雲(vortex)の奇観


「信じられない」現象だから写真が修正されたのかも、と疑ってみなくなる。最近のコンピューター・グラフィックスの技術だったら飛行機雲の添加、修正は朝飯前のテクニックだからだ。しかし同時に「事実は小説よりも奇なり」ということもあるし、天然現象で我々の知識や想像を超える事象が起こる可能性もあるに違いない、とも思い直した。また出所は不明だが、転送してくれたのが航空機事情に詳しいジェームス・ロッジ(James A. Lodge)からだったこともあったので、この一連の写真をご紹介する。----- 編集:高橋 経

ボーイング757が離陸して間もなく、両翼端が作った飛行機雲。

同機が更に上昇し、新たな渦巻き雲を生んだ。

更に上昇し、飛行機雲が消え、渦巻き雲だけが残った。

A-340が残した飛行機雲は虹の7色を反映した。

10億5千万ドルのエミレイツ(Emirates: アラビア首長の)A-380の周辺に漂う雲。

夕焼けのアムステルダム空港に着陸するA-330。右の空に異常な雲が発生。

左はボーイング747、右は遥か上空を飛ぶボーイング777。

戦闘機F-15Eの周辺に付きまとう飛行機雲。

ジョウゴ型の飛行機雲を伴い音速に挑戦する戦闘機FA-18。

あわや正面衝突?高度が300メートル離れ、逆方向を飛ぶFL-330とFL-340。

ボーイング747の飛行機雲。

半月を背景に飛ぶボーイング747。

2011年11月8日火曜日

中国:あるアニメーターの反抗


アニメーション作家、皮三(ピー・サン左の写真)こと、ウェイ・ボーの作品が話題になっている。ご承知、共産中国政府の言論統制は至って厳しい。特に政府の政策について、中国人民は発言の自由が全くない。そうした環境の中で、温云超(ウエン・ヤンチョウ)や皮三を始め、官憲の目を潜り、インターネットを通じて政策を批判したり風刺する反骨精神の持ち主が何人か存在する。陰ながら草の根人民のみならず、欧米ファンの喝采も博している。この反抗児たちについては長くなるのでいずれ稿を改めてお知らせするとし、取りあえずYouTubeに発表された皮三の短編作品4本をここでご紹介する。主人公は丸顔で鼻血っ垂れのクァン・クァン(哐哐)、正直で優しい心の持ち主だ。台詞は、英訳されて画面に出てくるが、台詞ナシでも作家の言わんとする所はご理解いただけると思う。

学校をブッ飛ばす---- 7分31秒
2009年にインターネットで発表された初期の作品。3百万人が既に鑑賞した。政府はこれを見とがめ「不適当な内容」とし、皮三から罰金を徴収した。



よい先生---- 6分54秒
主人公のクァン・クァンは皮三の作品殆どに登場する。国家の制度が反映する形式主義の学校制度にしっくりと適合できないため、しばしば痛い目にあう。


小さなウサギちゃん、おとなしくして ----- 3分47秒
2011年はウサギ年。やんわりと年賀状のテーマに、、、という積もりだったのが、不公平な社会のお陰ででとんでもない悪夢に発展。政府の弾圧に対する不満を、このアニメーションを通じて発露。



38度線-----クァン・クァンの日記から ----- 18分20秒
朝鮮を南北に分けた北緯『38度線』が後年、『分割』とか『超すべからざる境界線』という意味に転化して広く使われるようになった。この話は、教室の二人用デスクに『境界線』を描いたことから、男女生徒を分割するまでに拡大し悪化する。「机を分け合った友達と仲良くしたい」クァン・クァンの願いが叶うかどうか?


2011年11月3日木曜日

犬と猫の話


志知 均(しち ひとし)
2011年10月

仲の良い犬と猫がいっしょに昼寝
私の住むコミュニテイーでは警察の動物係が野犬や野良猫の去勢手術やもらい手探しのサービスをしている。この春、裏庭で野良猫が産んだ子猫2匹をワイフが毎日餌を与えて手なずけ、捕らえて動物係へ連れて行った。猫好きの家庭にもらわれていっただろうかと気にかけている。

若い頃に私は犬を一度飼ったことがある。猫は子供たちが成長するまでいつも飼っていた。いろいろな動物の中で、どうして犬と猫だけがヒトと特に関係が深くなったのだろうか?考えてみても判っているようでよく判らない。そこで少し調べたことを、興味ある読者もあるかと思い以下紹介しよう。

オオカミ
世界中で4億以上の飼い犬がいる。約400種いるが、全てオオカミ(Canis lupus)から由来したことは、遺伝子が99.8%同じだから間違いない。ヒトは15,000年前、狩猟の補佐としてオオカミを手なずけた。犬はその他いろいろなことに有用であることが判り、目的に適した性格や体格を育種(breeding)によって強め、例えば、寒冷に強いエスキモー犬や砂漠の高温に耐えるシリア犬など、多種類の犬を創った。


左から:チン;神社の門番、狛犬(こまいぬ);グレート・デーン;チワワ
愛玩用のペット犬が現われたのは、イギリスのビクトリア女王時代(1837-1901)である。女王の好みは、足が短く鼻が小さい犬で、狆(チン、pekinese犬)を誰かが中国から盗み出し献上した。狆は本来日本では、お寺や神社の守護をするシシに似せて創られた犬で、ペット犬ではなかった。イギリスではケンネル・クラブもでき、犬の品評会も盛んになった。グレート・デーン(great dane)のように特別大きな犬は、胎児の段階で、胎内に甲状腺ホルモン(thyroxine)を注射して生長を促進して創られ、チワワ(chihuahua)のように小さい犬は数世代にわたる自然淘汰(natural selection)で創られた。
左から:イヌ橇(そり);優れた臭覚が役に立つジャーマン・シェパード;盲導犬
ヒトが犬を重用するのは、ペットとする面以上に、ヒトを助ける犬の特別な才能によるところが大きい。例えば、地震や台風で崩壊した家屋に閉じ込められた被災者探しや、麻薬や火薬危険物の探知、盲人の誘導など、犬が貢献する分野は広い。医療分野でもその特別敏感な臭覚を利用して犬は病状診断に使われている。たとえば、患者の尿の臭いから癌を感知したり、糖尿病患者が低血糖になった時示す微妙な体臭変化を感知して患者が意識不明になるのを防ぐ。

犬がこのように人間生活のいろいろな面で役立っているのには、犬がヒトに示す『信頼』と犬の『知能』の高さが関係する。ある心理学者の実験によれば、他人を信用し信頼するヒト、例えば、必ず受け止めるからと言われて、平気で後ろ向きに倒れられるヒトは、オキシトシン(oxytocin)と呼ばれるホルモンの血中濃度が高い(オキシトシンの脳内作用の説明は省略する)。ヒトを信頼する犬の血中オキシトシンの濃度は、ヒトになつかない動物より高いといわれる。
知能については、犬はヒトの言葉をかなり理解し、ヒトと同じように考えるそうだ。またヒトの手の動きや目の動きの意味を理解する。人間同士では、批判し合ったり意見が合わなかったりするからトラブルが起きるが、犬は批判したり反対したりしないで忠実なので、ヒトとの間に特別な信頼関係ができる。ヒトと犬との強い絆の話は洋の東西を問わず多数ある。日本で有名な「忠犬ハチ公」の話はリチャード・ギア(Richard Gere)が主演するアメリカ版の映画『HACHI(右のポスター)』になっている。

野生のネコ(左)とエジプトの女神(猫)の彫刻
犬がヒトにとって極めて有用な動物であるのに対し、猫はほとんど役に立たない。では猫はどうやってヒトと共生するようになったのだろうか?ヒトが10,000年前に中近東(現在のイスラエルの辺り)で農業を始めた頃、貯蔵した穀物を野ネズミ(mouse)が食い荒らした。その野ネズミを食用にしようと、猫の方からヒトの集落に近付いてきた。猫はこのようにしてヒトの生活の中へ入りこんだが、犬のように特別な目的のために育種(breed)されたり訓練(train)されることはなかった。

寄生した猫(Felis s. lybica)は3600年前、農業の広がりと共にエジプトへ伝わり、そこで本格的な猫の育種が始まり、ペット用の品種が創られた。猫愛好(崇拝?)が嵩じて、2900年前には猫はエジプトの女神(猫)になった。その猫崇拝の名残りは、現代の女性の目の周りのお化粧に残っている。

世界中で飼われている猫の数は6億をこえる(10人に一匹!)。ヒトにとって役にも立たない動物がそんなに多数どうしてヒトと共存しているのか?心理学者によれば、ヒトが猫、特に子猫に魅かれるのは、その顔だという。大きな無邪気な目、可愛い鼻、広いひたいは赤ん坊の顔に似ており、女性の母性本能を刺激するらしい。
猫は自分本位の動物だからヒトの思うようにならず、ヒトの方が振り回される。谷崎潤一郎の「猫と庄造と二人のおんな(左:出版当初は旧カナで『をんな』だった)」に見られるメス猫リリーと、それに関わる人間達「ダメ男の庄造、庄造の妻福子、先妻の品子」の関係がその例だ。リリーを溺愛する庄造に福子が嫉妬する。品子がリリーを欲しがっているのが幸いだと、福子は庄造にリリーを手放すよう要求する。品子はリリーをもらい受けるが、なつかず面倒を見るのに大困り。結局三人ともリリーに生活を振り回される。
余談だが、谷崎はこの小説を書く少し前に妻と別れて再婚しているのでこの小説には実体験が入っていることだろう。

あるヒトが言うには、「忠実な家来がほしい人には犬を、わがままお姫様に奉仕したいヒトには猫がよい」。さて、あなたがペットを飼うとしたら犬にしますか、猫にしますか?

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発行編集責任者: 高橋 経

2011年11月1日火曜日

酒はナミダか金脈か:終章


私が子供の頃『泥棒、巡査』というゲームがあった。正にアメリカで禁酒法の真っただ中の時代だった。今でもコンピューターで同じようなゲームがあるらしい。でも、コンピューターという名さえ無い時代のことだ。子供達が集まって誰が泥棒で誰が巡査になるかジャンケンで決める。泥棒にはなりたくはないが、ジャンケンで決められ、不平を言わずに泥棒になり巡査から追われる身となる。実際に盗みを働いたわけではないから、後ろめたい気持ちは毛頭なく「逃げ隠れて」巡査の裏をかく行為に、意外とスリルを味わい、楽しんでいた思い出が残っている。

『禁酒法』違反も、盗みを働いたわけでもなし、代価を支払って買った酒を呑んでいるのだから、罪悪感は殆どなく、多分、取締官の目を逃れるスリルと共に味わう酒は格別だったのではなかろうか。

『禁酒法』が善法だったか悪法だったか決めつけることはできないが、機能しなかったことは歴史上の事実である。それにつけても『飲酒の悪』が依然として問題になるのは未来永劫変るまい。飲酒運転で他人を殺傷してしまう事故が毎日のようにどこかで起こっている。果ては自分自身がアルコール中毒で心身共に健康を損ない、家族の生活をみじめにし、不幸に陥れている人々がこの世の中に数え切れないほど存在する。『禁酒法』の趣旨は、そうした不幸を無くすためだったのだが、法律で改善できる問題ではなかったようだ。
編集:高橋 経

『禁酒法(PROHIBITION)』
第3部:偽善者だらけの国家 (A Nation of Hypocrites)
製作:ケン・バーンズ/リン・ノヴィック(Ken Burns & Lynn Novick)  

『禁酒法』が発効して6年経った1926年6月26日、ニューヨーク選出の国会議員、フィオレロ・ラ・ガールディア(Fiorelo La Guardia:右の写真)が公開の席上で「『禁酒法』は役立たずで無能な法律である。あの法を成立させた連中は偽善者だ」と決めつけ、席上で堂々とウィスキーをなみなみとコップに注ぎ、飲み干して見せた。この一件は、大々的に報道されたが、ラ・ガールディアを攻撃する人はなく、官憲も彼を逮捕するはっきりした罪状も見付からず、手をこまねいて関わり合わなかった。

ラ・ガールディアの発言が火を付けたわけではなかろうが『禁酒法の廃止』を公に主張する政治家がぼつぼつと現れてきた。アメリカ主流の政党が共和党と民主党の二大政党であることはご存知の通りだが、『禁酒法』の憲法18条改正を推進した大統領ハーディング(Warren G. Harding)と、後継のクーリッジ大統領(Calvin Coolidge)が共和党だった。民主党の政治家たちが、それに対抗する意図をもって『禁酒法の廃止』を公約に掲げたということに疑いの余地はない。
大小のスピーク・イージー。中央上の『のぞき窓』で客を確かめてから扉を開ける。
政治的な『廃止論』は後段にゆずるとして、現実にはサルーンの消滅に取って代わって発生したもぐりのクラブ『スピーク・イージー(SpeakEasy)』は、マンハッタンだけで当初1万軒以上と推定されていたが、一軒取締りの手入れで閉鎖されると、2軒の新しいクラブが開店するといった有様で、1926年頃には推定3万2千軒の秘密クラブがあったという。
そのクラブの規模は大小ピンからキリまであったが、『ピン』で代表的なのはハーレムのコットン・クラブ(Cotton Club)を始めとして市内に散在した豪華クラブで、それぞれジャズ演奏バンド、歌手、ダンサー、などの芸能人を看板を掲げた。こうしたショーは表看板で、酒類や食事のサービスを提供していた。勿論、厳重な会員制度で、取締りに対しては手入れ情報のを得たり、用心棒を雇ったりし、警戒も怠らなかった。客筋は白人に限り芸能人はデューク・エリントン(Duke Elington:上、左から2番目の写真)を始めとし、才能豊かな黒人の登竜門でもあった。
時代は正に好景気の絶頂、市民の懐は豊かで、放埒な消費を楽しんでいた。女性の職場も増え、収入を得た彼女ら多くの夢は、男友達に連れられてクラブへ忍び、禁制の酒を飲むスリルにあった。性の解放もこの時代で見逃せない社会現象だ。
有名人になったカポーン
一方こうした需要に『供給のカギ』を握っていたギャング組織の縄張り争いは激化の一歩をたどっていた。1929年2月14日、シカゴ南区域のギャング数名が銃撃され『セント・ヴァレンタイン・ディの殺戮(The St. Valentine Day Massacre)』と名付けられた事件が起きた。この凶悪な犯行を指示した疑いが、『南』と縄張りを画していた北地域のボス、アル・カポーン(Al Capone)にかかった。カポーンは同日、確たるアリバイがあった。以来、クーリッジ大統領が連邦警察に『禁酒法』違反の最大犯人であるカポーンを逮捕するよう絶対指令を発し、最終的にやっと『脱税』の疑惑で起訴した。

折も折、大統領選が始まり、クーリッジを受けて『禁酒法』を確保し続ける共和党候補、ハーバート・フーヴァー(Harbert Hoover)に対して『禁酒法の廃止』を掲げた民主党候補アル・スミス(Al Smith:左の写真とカリカチュア)が立った。結果として時期尚早、スミスが破れ、フーヴァーが大統領になった。だが国民の選択は『飲酒』の善し悪しによるものではなかった。実際の統計では飲酒賛成派の数は禁酒派の3倍を示していたのである。


ここで見逃せないのは、『禁酒法の廃止』に立ち上がったポゥリン・サビン夫人(Pauline Sabin:右の写真)である。彼女はロング・アイランドの西端に広大な地所を持つ富豪の妻で、共和党を支持し、二人の息子の将来を思って『禁酒法』に賛成していたのだが、息子たちが成長するにつけ考えが変り、同法の無意味さを認識した。財力や発言力を充分に利用し『禁酒法改正全国婦人団体(Women's Organization For National Prohibition Reform: WONPR)』を結成し、全国的に集会を開き、『改正』の必要性を説いて歩いた。
左から:慈善事業のスープをすする失業者;セントラル・パークに出現した貧民村;スープの列に並ぶ貧困者
1929年の秋、突然アメリカの株が暴落し、世界的な経済恐慌が襲った。多くの銀行が倒産し、享楽を楽しんでいた人々は財産を失い、1千500万人以上が失業し、農家は不作で日々の食事にもことを欠いた。

サビン夫人の『禁酒法改正』キャンペーンと、経済恐慌が『禁酒法の廃止』への気運を盛り上げ広まった。

1932年、大恐慌は3年目に最悪の状態に陥っていた。機を見るに聡いニューヨーク州知事、フランクリン・ルーズヴェルト(Franklin D. Roosevelt:左の写真)が民主党選抜の大統領候補となり『禁酒法の改正』のみならず、『失業対策』を公約に掲げて選挙戦に臨み、圧倒的に多数の票を獲得して32代目の大統領に選ばれた。そして、1933年3月22日、大統領が署名し、13年と2ヵ月続いた『禁酒法』時代は終わりを告げた。


禁酒法の廃止を祝う飲酒派の男女


しかし現在、そして未来永劫に『飲酒の害』は依然として続いていることを忘れることはできない。
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編集から:3回にわたったこのブログは6時間ビデオのほんのあらすじに過ぎません。数々の興味深いエピソードは殆ど割愛しました。『禁酒法の成立から廃止まで』全てをご覧になりたかったら、下記のビデオ、本を公共テレビのサイト(shopPBS.org)からお求めになることをお薦めいたします。

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