2011年8月29日月曜日

ストレスとは何だろう?

志知 均(しち ひとし)
2011年8月

アメリカの失業率は9.1パーセント。一年前とほとんど変わらず、早期景気回復の見通しもよくない。連邦政府だけでなく、市民も『借金』の返済に青息吐息。日本も長期の不景気の上に、東北地震、津波の災害のダブルパンチ。それに今夏は猛暑にも拘らず節電のため冷房を十分使えず、熱中症で死者まで出ている。

こんな状況では、日本でもアメリカでも生活のストレス(Stress)は溜まるばかりだ。ストレスは長引くと高血圧や精神疾患を招く怖い病因だが、我慢すれば何とかなると思っている人も多い。いったいストレスとは何か?その言葉の使い方も含めて一般によく分かっていないように思われるのでこの小文を書いてみた。

ストレスとは本来、物理用語で外部からの圧力を押し戻そうとする応力のことだが、50年ほど前から生物学や心理学の分野で「外部からの刺激(ストレッサーと呼ぶ)に対する身体(心身の両方)の反応」ストレスとよぶようになった。ストレッサーは、圧力、温度などの物理的因子のほかに、身体に有害なもの(有毒物質、病原体など)や、恐怖や焦燥を起こさせる感覚的なものまで多様である。この定義によれば、「仕事でストレスがたまる」というのはよいが、「この仕事はストレスだ」というのは厳密には正しくない。仕事はストレッサーではあるがストレスではない。同じ仕事をやってもストレスがたまらない場合もあるから。

我々の身体は、血糖値や体温などすべてがバランスされた状態を保つよう調整している。この作用をホメオステーシス(homeostasis)と呼ぶ。(株の売り買いのバランスで株価がきまるのもホメオステーシスといえる。)ストレッサーがそのバランスを崩すと、身体はストレス反応を起こして新たにバランスを保とうとする。

暗闇で強盗に脅迫された場合、或いは強い地震に襲われた場合、その情報は素早く小脳の扁桃(へんとう:amygdala:右の図の赤い部分)とよばれる組織に集まる。扁桃は恐怖心や不安心に関係する組織で、ストレス反応では中心的役割を演ずる。(勿論、脳のほかの組織も関係するが話が複雑になるので省略する。)

扁桃はCRH(corticotropin-releasing hormone)とよばれるホルモンを分泌して脳幹(brain stem)を刺激し、脊髄を介して副腎からの二つのホルモン(アドレナリンadrenalinコーチゾルcortisol左図はアドレナリンの、右下はコーチゾルの分子構造)の分泌を促す。(註:コーチゾルは、免疫抑制作用のあるコーチゾンの類似化合物だが、ストレス反応で副腎から出てくるのがコーチゾル)

アドレナリンは全身の筋肉に十分酸素が行きわたるように心臓を刺激するので動悸が高まる。一方、コーチゾルはフィードバックで扁桃に働きかけ、CRH分泌を促し自律神経の働きを高める。そこで大脳は、留まるか逃げるか(fight or flight)の決断をせまられる。(私が子供の頃教えを受けた剣道の達人の先生は、絶体絶命の状況でなければ逃げろと教えてくれた。)

緊迫した状況ではアドレナリンの作用が強く、慢性のストレス反応ではコーチゾルの作用が強くなる。慢性
ストレスコーチゾルアドレナリンの濃度が高まった状態が長引くと、身体に障害がでてくる。

恐怖、焦燥が長期化し扁桃の活性化状態が続くと、副腎からのコーチゾル、アドレナリン分泌も高レベルが続き、記憶減退やうつ病(depression)をひき起こす。大脳には『快感』をもたらす神経回路(pleasure pathway)がある。身体はこの回路を刺激して気持ちが落ち込むのを防ごうとする。(酒や麻薬はこの神経回路を刺激して憂さを忘れさせてくれる。)しかし慢性
ストレス反応ではこの回路にとって重要なドーパミン(dopamine)セロトニン(serotonin)などの神経伝達物質の生成をコーチゾルが阻害するのでうつ病になる。

うつ病が高じると記憶障害がおきるが、それはコーチゾルが記憶形成に重要な脳組織である海馬(hippocampus)の作用を妨げるからである。こうした障害を防ぐための薬はいろいろある。精神安定剤のヴァリアム(valium)リブリアム(Librium)は筋肉の緊張をゆるめてくれる。研究開発中のものとしては、扁桃が分泌するホルモンCRHの作用をおさえる化合物や、コーチゾルで痛められた脳神経細胞を再生させる成長因子などがある。

ここでひとつ注意したいのは、ストレス反応には大きな個人差があることである。緊急事態に遭遇しても冷静な人、それが長引いてもうつ病にならない人があるが、一方すぐにパニックに陥ったり、物事に悲観的でうつ病になりやすい人がある。この違いは環境因子と共に遺伝因子が多分に関係する。ドーパミンセロトニンコーチゾルの受容体に関する遺伝子や、これらの物質の合成分解にかかわる酵素の遺伝子に変異があると、ストレッサーへの反応が激しくなったりする。


ストレスが一番たまるのは、人間関係のわずらわしさやこじれであろう。「知に働けばかどが立つ。情にさおさせば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくにこの世は住みにくい」と云った夏目漱石ストレスがたまって胃潰瘍になった。その漱石に「無人島の天使にならば涼しかろ」という句がある。

天使になれない我々凡人はせいぜいうまいものを食べて、楽しい音楽でも聴いて、うつ病や胃潰瘍にならないようストレス解消するしか術がない。

2011年8月23日火曜日

『アイ♥ルーシィ』陰の人

昭和30年の頃、私は東京、池袋に住んでいた。ある日電気器具のセールスマンがテレビを売り込みに来た。当時テレビはNHKの独占で番組も不十分、誰もが自家用にする決心がつかず、街頭とか電気器具店のショーウインドーでプロレスの放映を立ち見するのが関の山だった。

「今お買いにならなくても結構です。2週間置いておきますからご覧になってから決めてください」という提案に「渋々と」合意した私、セールスマンが帰るや否や、テレビにかじり付いた。その時スクリーンに現れたのが、日本語に吹き替えられた『アイ・ラブ・ルーシー』だった。私がその羽目を外した、しかし罪の無いドタバタ・コメディに笑いこけ、テレビの虜になったことは言うまでもない。それは、日本の経済が爆発的に発展する転機でもあったようだ。


以来、民放が出現し、日本全国の家庭がテレビ・セットを保有し、カラー・テレビが生まれ、番組が充実し、映画産業を窮地の陥れたたことは衆知の通りである。


あれから半世紀余り、あの『アイ・ラブ・ルーシー』はコメディの古典となり、今でも、世界中の言葉に吹き替えられ、どこかの局で綿々と再放映を続けている。


さて、これほどヒットした傑作コメディの主人公二人、、、ルシール・ボール(Lucille Désirée Ball)やデジ・アーネツ(Dési Arnaz)の名は世界中で知られているが、その筋書き台本を書いた脚本家の名を知っている人がどれほどいるだろうか。かく言う私も、迂闊なファンの一人で、最近その脚本家の死亡が伝えられるまで知らなかった。----- 編集:高橋 経
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『ルーシー』の笑いを創った女性

デニス・ヘヴェシ(Dennis Hevesi);トム・ギルバート(Tom Gilbert);
4月21日および8月5日付け、NYTより抜粋

その人の名は、マデリン・プゥ・デイヴィス(Madelyn Pugh Davis)、もし或る日ふとその人に対面したら、誰もアイ・ラブ・ルーシー初期からの脚本家だなどとは思いもよらないであろう。マデリンは、もの静かで優雅、話し声はあくまでも優しい。去る4月20日、ロサンゼルス郊外、ベル・エァ(Bell Air)の自宅で90才の生涯を閉じた。(写真は『アイ・ラブ・ルーシー』のセットで、左からルシール、マデリン、デジ)

奇しくも今年は、『ルーシー』こと、ルシール・ボールの生誕100年記念に当たる。(1911年8月6日生まれ、1989年4月26日死亡;77才)

ルシール・ボールの人柄には、二つの面があった。『ルーシー』の役柄では、おかしな女、不安定な女、不運な女、可愛い女、すぐにバレる愚かな嘘をつく女の肖像を、あたかも女優自身でもあるかのように演じた。そのため、真面目で、慎重で、言葉を尊重し、完全主義者という本当のルシールを知らない人が大半だった。本人と役柄が共通した名前、実際の夫、染めた髪色、その他微々たる事実を除けば、殆どが架空の人柄を創り上げたことによって『ルーシー』が大成功したのである。


1950年代の視聴者すべては、単純に、女優ルシール・ボールが自身の個性を気ままにおおらかにさらけ出しているのだと思い込んでいた。こうした演出をするには、マデリンやその協力者ボブ・キャロル・ジュニア(Bob Carroll Jr.)など脚本家たち、製作者のボブ・シラー(Bob Schiller)、ボブ・ウエイスコフ(Bob Weiskopf)達の少なからざる創意工夫や努力が注がれ、仕事に厳しい一人の女優を、世界中の視聴者たちから愛好されるやんちゃな女像に変身させたのである。

こうした創作過程には製作者と俳優の間で常に意見の違いや悶着がつきまとっていた。

そうしたギャップを埋め、悶着をおだやかに解決していたのが、ルシールの夫で役柄でも夫役を務めていたキューバ生まれのバンド・リーダー、デジ・アーネツ(Desi Arnaz)だった。(1917年3月2日生まれ、1986年12月2日死亡;69才)


マデリンも問題解決の機智を身に付けていた。


ある場面でルーシーが牛の乳しぼりをするシーンを撮ることになった。その演技を不快に思ったルーシーマデリンに向かって「この筋は貴女が書いたんでしょ。貴女が搾ったらいいでしょ」と言い捨てた。マデリンは、とっさに何が優先するかを判断し、ちゅうちょすることなく牛の乳を搾り、事を収めた。


ことほど左様で、ルシールマデリンは全く正反対の人柄だったが、目的を達成する、という一つの目標に向けて、お互いの長所を生かすことには協力を惜しまなかった。


そうした不調和がしばしば起こったにも関わらず、ルシールは公的の場でも私的の場でも脚本家の功績を賞讃することを惜しまなかった。1954年、コメディ部門でエミー賞を授賞した時、「脚本家に与える賞があっても良いのじゃないかしら。私なら脚本部門の賞を作るけどね」と公言した。それまで、脚本部門の賞はなかったが、次の年から新設された。皮肉にも、マデリンの脚本は2年続けて候補に上ったが、授賞を逸し、それきりとなってしまった。


マデリンの著書『ルーシーと共に笑う(Laughing With Lucy)』ボブ・キャロルの協力を得て数年前に出版された。その本で、当時は珍しかった女性として、脚本ひと筋で生きたことを叙述している。序文に「自慢する積もりはない。また、すでにこの世にいない人々の弱点を書き連ねることはヤボなこと」と断っている。


従って、読者が有名俳優たちのスキャンダルを期待していたら、当てが外れるであろう。

2011年8月20日土曜日

戦争が終わった日

戦争と平和

戦争は現実、平和は今の所夢ものがたり

戦争は殺し合い、平和は慈しみ愛し合い
戦争では悲惨な実体が見えるが、 平和は実体が漠然として見えにくい

でも、全く見えないわけではない
この話は、目のあたりに見えた平和の歓喜。

戦争が終わった日、 勝った國では、勝った喜びより、平和を迎えた喜びを、
負けた國では、負けた悲しみより、死を免れたささやかな安堵
戦争のない平和な世界は夢ではない。

--- 編集:高橋 経

リチャード・サリヴァン(Richard Sullivan)手記
ハワイ在住

2011年8月14日 (日本時間で15日)


66年前の今日、日米が戦っていた太平洋戦争が終わった。

私の父がその日見た光景は、ワイキキのカラカウア・アヴェニュー(Kalakaua Ave.)での市民たちの歓喜ぶりで、父はその出来事を、コダクローム16ミリのカメラで撮影した。そのフィルムを受け継いだ私は、時に応じてその映像を親戚や親しい友人に見せていたが、年月を経てアナログからデジタルへと変遷し、それに伴って、父が遺したフィルムも様々なハイテク技術の助けを借りてデジタル化させた。

過去の話ではあるが、未だに戦争の絶えないこの世界に平和の歓喜がいかばかりかということを知ってもらいたい、と思ってこのフィルムを公開する。

2011年8月17日水曜日

家族という名の下に、、、。

『核家族』という言葉が使われるようになってから久しい。その本来の意味は、夫婦とその子供(もし有ったら)という家族の基礎的な単位である。しかし転じて祖父母や孫に至る2世代、3世代が一つの屋根の下で暮らすことなく、個人あるいは夫婦単位で離れて別居する現象を『核家族』と称するようになった。----編集:高橋 経

日本の家族構成(2010年秋の国勢調査による)

■ 所帯数が5,000万を超過した。その内訳は;
■ 一人暮らしが全体の31パーセントで首位、
■ その内訳は、65才以上の独居人口比は23パーセントで世界で最高、最悪、
■ 15才未満の人口比は13パーセントで世界の主要国で最低
■ 夫婦と子どもの所帯は29パーセント、
■ 夫婦だけの所帯は20パーセント
■ 家族の人数は 平均2.46人と最少記録を更新
■ 経済的な理由で20才から39才までの未婚の男性は83パーセント、女性は90パーセント。

その結果、少子高齢化が進み、社会保障制度が破綻の危機にあり、孤独死などの現象が増加した。『未婚の若者たち』と『孤独な老人たち』を併せ、独居1,600万人に達した。

アメリカの家族構成

アメリカでの『核家族』現象は日本より前に始まっていた。若い男女が結婚すると親の家から別居するのが当然の習慣である。ただし『核家族』という言葉に相当する言葉はなぜか見当たらない。多分、日本で創られた言葉であろう。

そうした『核分裂』家族の現象をよそにして、稀に例外な家族構成がある。

あるイタリア移民

19世紀に遡る。ローマから160キロほど東南、アペニン山脈(Apennine Mountains)の麓にロセト・ヴァルフォルトーレ(Roseto Valfortore)という寒村がある。中世期風の村で、その一帯の地主はサギーズ家(the Saggese family)。村の一郭のアーチから突き当たりに教会(Our Lady of Mount Carmine)があり、狭い石階段を登りつめると赤瓦屋根、二階建ての石造りの家々が建て込んでいる。(右下の写真)

先祖代々、この村の人々は大理石を切り出す仕事を受け継ぎ、山沿いの段々畑で野菜を栽培していた。村人の生活は労働の連続、文盲で貧しく豊な人生は殆ど望むべくもなかった。

19世紀の末期、大西洋の彼方にアメリカという國があり、将来の希望が持てることを知り、11人の村人が渡航し、ニューヨークへ辿り着いた。到着の夜はリトル・イタリーにある宿場の床で仮眠をとり、翌朝、さらに西へ移動し、ペンシルヴェニア州、バンゴア(Bangor, Pennsylvania)の近くで石切り場の仕事にありついた。

これがきっかけで、ロセト村の人々が次々とアメリカへ移民し、1894年だけでも1,200人が故国を脱出した。

このイタリア移民たちは、徐々に土地を買い求め、石切り場からバンゴア市まで馬車の交通を図って道路を拓いた。更に故国の村と同じ教会を建て、町をニュー・イタリー(New Italy)と名付けたが、間もなく出身村と同名、ロセト村と改名した。(左の写真)

更に作物を作り、家畜を飼い、商店やレストランが建ち並び、彼らの村は確実に発展していった。(右の絵は、教会の伝説。スペインから)

ロセト村は、イギリス、ドイツ、などの移民村と隣接し、それぞれが集団を形成していたが、お互いに馴染める関係ではなかったようだ。特にロセト村の人々は現在でも、故国の、それもイタリア南部の方言をそのまま受け継ぎ、話し合い、結束している。

1950年代、そうしたロセト村の環境と偶然に係わり合ったのが、オクラホマ大学医学部の教授、胃と消化器官を専門とする内科医、スチュアート・ウォルフ(Stewart Wolf)博士であった。彼はロセト村の住民を診療をしてみて、驚くべき事実を発見をした。

一般にアメリカでは『心臓病』が波及し、それが65才以下の男性間で死因の最高を示していた。ところが、ロセト村で65才以下の村人を診察した結果、『心臓病』患者に殆ど出会わなかったのである。1961年、ウォルフ博士は、医学生や住人の調査協力を得てその理由を解明することにした。ロセト市(村から市に昇格した)の市長も協力を惜しまなかった。

ナイナイ尽くし、ロセト市民の人生

綿密な調査と分析の結果、55才以下のロセト市民で心臓病で死亡した者はおろか、その気配を見せた者は一人もいなかった。ロセト市民の内、65才以上で心臓病で死亡した数はアメリカの平均死亡率の半分でしかなかった。他の死因を調べた結果、これも一般の死因統計より33パーセントも低かった。

そこで、ウォルフ博士は市民の健康を生活態度から調べるため、社会学者のジョン・ブルーン(John Bruhn)博士を招聘した。ブルーン博士は医学生などの協力を得て、戸別、個人訪問を開始した。博士はその当時を回顧し「市民の間にアルコール中毒や麻薬常習者は皆無、犯罪は無し、社会保障に頼る人無し、自殺者無し。そこで消化性潰瘍を調べてみましたが、これも全く無し。市民の死因の殆どは『老衰』でした」と驚いていた。

解答を求めつつ、ウォルフ博士「もしかしたら」食生活が違うのではあるまいか、という仮説を立ててみた。その結果は徒労に終わった。

ロセト市民の食生活は、一般と変わりなかった。それどころか、彼らはピザを作る油に、健康に良いと言われている植物性のオリーブ油でなく、動物性のラードを使い、脂肪の多いソーセージや卵を好み、祝祭日にしか使わない筈の甘味(biscotti and taralli)を一年中使っていた。栄養士の計算によると、ロセト市民が消費するカロリーの41パーセントは動物性の脂肪によるものであった。のみならず、ロセト市民はヨガとかジョギングなどの運動をするわけでもなく、タバコは吸い放題、その挙げ句肥満症に悩まされていた。

それでは、又「もしかしたら」民族的な遺伝かも知れないと思ったウォルフ博士は、他の地域に住むイタリア移民を調べてみた。これも徒労に終わった。彼らはロセト市民ほどの健康を維持していなかったのである。

それでは、又々「もしかしたら」地形や気候の影響かも知れないと思ったウォルフ博士は、近隣のヨーロッパ移民の村々を調べてみた。これも徒労に終わった。彼らもロセト市民ほどの健康を維持していなかったのである。

思いがけない鍵、ロセト市民の『違い』

ロセト市民と他のアメリカ人とどこに『違い』があるのだろう。ウォルフ博士ブルーンロセト市の街路を歩きながら考えていた。そして最後に、二人は或る『違い』に気が付いた。それは:

■ 多くの所帯が2世代、3世代の家族と共に一つ屋根の下で生活していたこと。
■ 誰もが年長者を尊敬し、その教訓を守っていたこと。
■ 皆が教会へ行き、信仰に篤く精神を平静に保っていたこと。(左:スペインに在る同種の教会)
■ 2,000人の市民の間に22団体が存在し、それぞれが共同体の平等精神を守っていたこと。それは、ズバ抜けた富豪を出さず、富を貯え、必要に応じて貧者を扶助するために保管ししていたことなど。

こうして、ロセト市民はイタリア南部の伝統的な気質をそのままアメリカ、ペンシルヴェニアの小さな共同体に移入し、近代社会の圧力を妨げるだけの強力で保護的な社会機構を築き上げていたのである。

ウォルフ博士とブルーンは『医学と健康』について従来の常識から外れた、全く別の要素があることをロセト市で発見し、学びとった。ブルーン「ロセト市の人々の生活ぶりを眺めていると、奇跡を目の当たりにする思いがします」と感歎していた。

2011年8月2日火曜日

なぜ女は男より長生きなのか?

志知 均(しち ひろし)
2011年7月


平均寿命はアメリカ人が78才位、日本人が82才位。いずれも、女は男より5、6年長生きで、85才の男女の比率は2対3。現在65才のシニアが90才まで生きる確率は女30%、男16%といわれる。どうして女は男より長生きなのだろうか?

よく耳にするのは「男は妻子のために長年ストレスの多い職場で自分の健康をかえりみずはたらくから」という説明である。たしかに会社や社会で認められるように頑張る男の仕事はきびしい。しかし、家庭をまもる主婦の育児、家事、親族とのつきあいなど女の仕事も決して楽ではない。女性の社会進出が進んだ現在、職場と家庭を両立させるのは働く女性にとってはたいへんなストレスである。それにも拘らず、30年前に比べて男女の寿命の差は現在も縮まってはいない。従って、男のほうが女よりストレスの多い人生を過ごすからという説明はあまり説得力がない。(上の写真は世界中の女性礼賛を象徴する原始的なアイコン。)

ヒト以外の多くの種(species)をみると、一般にメスのほうがオスより長生きする。その理由は、オスはメスとの交接(mating)により遺伝子を与えて子孫繁栄の責任を果たせばあとは用なしになるからだ。極端な場合はカマキリのようにmatingの後メスは用なしになったオスを栄養補給のために食べてしまう。(左の写真;©John Breierley, 2006)

交接は生物、特に動物にとって種族保存のための一番重要な行為であることはムシもヒトも同じである。


その行為の原動力となるのがホルモン(男はテストステロン、女はエストロジェン)で、ホルモンの違いが男と女の育児、生活態度、考え方に大きく影響する。たとえば、男は危険を冒すことを好むが、投資で大損するのは女よりはるかに多い。自動車事故による死亡率は男は女より3倍以上多い。いずれもテストステロンのなす業である。


われわれの身体は加齢と共に組織、細胞、特に遺伝子DNAの損傷が進む。幸い、それを修復するメカニズムがあるが、修復能力は女のほうが男よりはるかに高い。卵巣除去すると修復能力は低下するので、エストロジェンが関与していると考えられる。逆に睾丸除去(castration)をするとネコもヒトもオスの寿命は延びる。だいぶ以前の話だが、カンサス州のある精神病院で数百人の男性患者の睾丸を除去したことがあった。手術された患者はされない患者より平均14年長生きしたと記録されている。(じゃあ、長生きのためにオレも、、、と考えるヒトがあるかも。)


エストロジェンは抗原感作に対する抗体生成を増加するなど免疫反応を高める。テストステロンは逆に免疫反応を抑制する。免疫反応は生体の防御反応であるから女のほうが男より防御反応が高いといえるがマイナス面もある。外部から身体に侵入する病原体に対して抗体を速やかに生成するのは好ましいが、自分の身体の成分(蛋白質など)に対する抗体を生成することがあると自己免疫病を起こす。

事実、自己免疫病である橋本氏病(Hashimoto’s disease, 低甲状腺ホルモンを伴う甲状腺炎、hypothyroiditis)にかかる男女の比率は1対50!ショーグレン氏病(Sjogren’s disease、涙腺や耳下腺の炎症)の比率はほぼ1対10。リュウマチ性神経痛の比率は1対4。免疫反応性(防御性)が高いために女のほうが男より長生きするが、65才を過ぎると男より女のほうが病気がちになる。


男女の寿命の違いには遺伝因子も関与する。


すこし話が難かしくなるのでバックグラウンドから説明しよう。細胞には核の遺伝子(nDNA)ミトコンドリアの遺伝子(mtDNA)の2種類がある。ミトコンドリアは細胞のエネルギー(ATP)生産工場で進化的には20億年前に細胞に取り込まれた好気性バクテリアが起源といわれる。nDNAが2-3万個の遺伝子を有するのに対し、リング状のmtDNAはわずか37個の遺伝子しかもっていない。従ってミトコンドリアは機能管理、修復、増殖のためにはnDNAに依存せざるをえない。mtDNAはnDNAのようにヒストン蛋白質で保護されていないので活性酸素などによる損傷をうけやすく、現在約120のミトコンドリア遺伝病が知られている。興味あることに、受精卵は精子から(nDNA)は受け入れるがミトコンドリア(mtDNA)は拒否する。すなわち、父親のmtDNA 遺伝子は子孫につたわらない。男と女の遺伝子は、性遺伝子(男:XY, 女:XX)以外同じであるが発現の仕方は大いに異なる。nDNAとmtDNAとの相互作用も同じではない。

さてここからが本題だが、いま卵子のミトコンドリアDNAに損傷が起きたとしよう。その損傷が卵子のnDNAに悪影響があれば修復するので生まれる女子のnDNAには悪影響はない。しかしほかの損傷で修復されない場合、それが生まれる男子に受け継がれnDNAに悪影響がでることは十分ありうる。男子のnDNAに悪影響のある損傷がmtDNAに蓄積されていくと末代まで男子の遺伝子は女子の遺伝子より弱くなっていく。この現象母親の呪い:Mother’s curse』と言われているが男女の寿命の違いの一因になることは十分ありうる。


シェークスピアハムレットの中で「弱きものよ、汝の名は女なり」といったが、とんでもない話だ。男の方がよっぽど弱い。トラさん(車寅次郎)ではないが男はつらいよは男の本音である。