2010年3月29日月曜日

『万里の長城』に防火壁

グーグル、中国での営業から撤退

去る1月のこの欄で、グーグル(Google)が中国政府の言論統制に抗議していたことを伝えたが、政府の態度は硬化しただけで何らの妥協点も得られず、遂に先週、グーグルは中国での運営を放棄した。これは『言論の自由』を擁護する見地から高く評価され、ニューヨーク・タイムズはその勇気は賞賛に値する、と評している。(右はグーグルの撤退を惜しみ社の前に花輪を贈る若い中国人たち)

その他、グーグルの撤退に伴って起こって波紋は複雑だ。グーグルの不在によって利益を得る競合企業の数社、発禁なしの検索を名残り惜しむ若い中国人たち、グーグルなしでも世の中は変わらない、とする人々、様々な反応が見られる。


その全てを報告しても、混乱を招くに過ぎないから、ここでは次の評論をもってその結末をまとめることにする。

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グーグル(Google)が中国を去った後の検索事情
ジョナサン・ストレィ;リリー・リー(Jonathan Stray & Lily Lee)
香港発
、3月28日付け、NYTより

中国政府にとって政治的に微妙な話題を、中国人民がネットを通じて検索を始め、それが頂点に達したのは、グーグルが香港で自主統制を外した日であった。中国政府は直ちに行動を起こし、オンラインで同社を賞賛する文章を削除するキャンペーンを繰り広げた。

天安門』、『法輪功(Falun Gong)』、『汚職に関する検索は、グーグルが統制なしの中国語検索を開始した火曜日(3月23日)には、普段の10倍に膨れ上がった。


だが、それは長く続かなかった。一部には、中国人がかかる政治的に微妙な話題に直ぐ飛びつくほど性急に知りたがってはいなかったこと、そしてグーグルの香港発の検索エンジンが中国大陸で殆ど妨害されてしまったからである。

週末における中国の数都市で行ったテストでは、天安門(右の写真か、ここをクリックすると動画が見られます)中国政府要人の名を検索していた人々を、中国政府がグーグルの香港サイト(google.com.hk)で発見し、数分の内に受信を妨害してしまった。他に頻繁に利用される中国の検索エンジン、自主規制をしているバイデュ(百度)は、引き続き受信でき検索できる。

27才のソフト開発技師、ジォング・フアン(Xiong Huan)グーグルが中国から撤退するって聞いたけど、私は気にしていないよ。だって百度があるもの。政府が避けている話題を検索しない限り、今の所はグーグルにしたって同じことさ」という。


そうは言うものの、膨大な数の人々がグーグルの新しい『統制無しサービス』第一日目を利用していた。その内、約250万人が『天安門』に関わる事項を、470万人が法律で禁止されている『法輪功』に関わる事項を検索したという数字がグーグル・トレンズ(Google Trends)グーグル・キーワード・ツール・ボックス(Google Keyword Tool Box)にデータとして記録されていた、ということだ。


とは言え、この人数は4億人の中国人ネット利用者の総数から見たら僅かであり、検索数は二、三日で平常のレベルに戻った。
英語や中国語によるグーグルでの検索は遥かに一般化し、『火曜日』におけるグーグルの利用者は2,000万人に達した。その意味するものは、グーグル利用者は自分たちの知識では得られない『政治的に微妙な情報』を得るため、グーグルに依存し続けたい意志の現われである。

一方、中国政府は、グーグル愛好者たちの感情をインターネットから根絶すべく、その構えを示している。
中国の独立系メディアに精通している独立のジャーナリストで調査員、38才のオイワン・ラム(Oiwan Lam)は、グーグル関連の社交ネットワーク・サイト「ほんの数秒の内に削除されてしまった」と落胆していた。

チャイナ・デジタル・タイムズ(The China Digital Times)は、中国州協議会の情報局(The Chinese State Council Information Office)が全ニュース・サイトに呼びかけ「情報交換、コメント、その他の討議に関する管理は慎重に」そして「グーグルを支持し、花輪を供えたり、グーグルが中国に止まるよう要請したり、激励したり、その他政府の方針に沿わない記事、映像、音響やビデオは削除すべし」と指令した、と伝えている。


中国政府は、微妙な話題の報道には定期的に指示を与え、グーグルの監査には特に厳しい態度をとってきた。


グアンズウ旅行社(Guangzhou travel)サイトのウエブ制作者、ジャヴェン・ヤン(Javen Yang)「金曜日(3月26日)に、グーグルに関わるコメントは全て削除するよう政府から指令を受け、また一般のウエブ制作者も、アメリカの企業で中国から引き揚げる会社に関する事項は削除するよう通告があったようだ」と語っている。


その事実を中国州協議会の情報局から確認をとりたかったが何の答えも得られなかった。


国内のおしゃべり』サイトも間近かに監視され、中国と外国のそれを比較するとその違いに大きな差があるのに気が付く。中国のツイッター(Twitter)が全般的にグーグルの決断を賞賛していたのに引き換え、中国で人気がある討論サイト、ティアニャ(Tianya.cn)では土曜日(3月27日)、ほんの数名がグーグルの名に触れていただけで、全てが控え目か、中立の意見に過ぎなかった。反面、ツイッターは言論統制に反対を叫び続けていた。但し、フェイスブック
(facebook)ユーチューブ(YouTube)もそうだが、中国本土からは特別なソフトを使わないと繋がらない。 全般的に見て、今のところグーグルの撤退は一般市民にさほど大きな影響は与えていないようだ。

中国人がグーグルの新しい『検閲抜き』の検索機能を受信できたとしても、それを読ませたくない政府の妨害により読めなく(多分文字化け)される。国内製のウエブ・サイトは容易に撹乱でき:外国製のサイトは巧妙に張られたファイアウオール(防火壁:firewall)で遮断される。


ラム(Lam)女史に言わせると「グーグルが統制を外したとしても、ファイアウォールを突破できるソフトを使わない限り、一般の利用者は『微妙な報道』を受信することはできません。万里の防火壁長城(The Great Fire-Wall)』が存在する限りはね」ということだ。


中国政府は、かようなファイアウォールの存在や、報道関係やウエブ・サイトに言論統制を指示したことを認めることはあるまい。他の諸外国と違って、インターネットの受信を検閲する中国政府はサイトを妨害した通知も出さず、、、ネットワークが故障して受信ができなかったのだ、とうそぶくに違いない。


究極的に、(中国政府は)無関係を装っている方が、どんなファイアウオールよりも効果的であろう。

北京のセールスマン、ルオ・ペン(Luo Peng)「私はグーグルが中国から完全に閉め出されても心配しません。ユーチューブフェイスブックもそうですが、私の生活に無くても差し支えのないものです。必要とあれば、使えるものを利用するだけのこと」と超然としていた。

2010年3月23日火曜日

追憶その2:フェス・パーカー

ヴァーリン・クリンケンボーグ(Verlyn Klinkenborg)
2010年3月21日付、NYTより

私はデヴィ・クロケット(Davy Crockett シリーズ)』のエピソードを、どの一つさえ憶えていないし、アライグマの帽子(coonskin cap)も持っていない。あの流行したテーマ・ソングのように、そのメロディは一時(いっとき)脳裏を去来していたが、すべてが過去の彼方に消えていった。

でもフェス・パーカー(Fess Parker)は憶えている。あの時代の男性的な逞しさ、それはパーカーの存在なしでは考えられない。その彼が先週、85才で亡くなった。私の追憶には、何とも言えない『正真(ほんもの)』の体躯が浮かんでくる。テレビのシリーズの影響で、どれほどアライグマの帽子が売れたかは知らないが、その『正真さ』は、単に無邪気な子供っぽいイメージではない。それはパーカーの体内に脈々と流れていた『何か』だったようだ。


私が思うに、ある意味では、それは細身の旧式な火打ち石銃を持つにふさわしい角張った男性の印象だった。又それは、彼が右の目をうつむけ、しかめ面の笑みを浮かべながら見上げる仕草でもあった。その彼の開拓者特有の鋭い眼差し(まなざし:用心深く、相手を計るような目つき)を、ファンの子供たちが真似していた状景が記憶に蘇ってくる。あれやこれやを綜合し結び付けてみると、パーカーの声も蘇ってくる。その発声は(パーカーが)生まれたテキサスの訛りより、(クロケットの)テネシー訛りが仄かに感じられ、未開拓地特有の柔らかな雰囲気を尊重し再現してくれていた。いずれにしても、フェス・パーカーその者が、アメリカの伝説的人物デヴィ・クロケットだったのである。

彼の訃報を読みながら、私はフェス・パーカーの普遍的な運命を認識させられた。伝えられる所によると、彼はディズニー映画(Disney)と契約していたため、ジョン・フォード(John Ford)監督(西部劇の伝説的な監督)の映画に出られず、マリリン・モンロウ(Marilyn Monroe)と共演ができなかったのが残念だったということだ。だが、我々はパーカー/モンロウの共演が実現することのない世界に生きていた。のみならず、多くの子供たちが、フェス本人の存在を打ち消し、彼をデヴィ・クロケットに仕立て上げてしまったのだ。


私は今『デヴィ・クロケット』をもう一度鑑賞してみたい、という衝動に駆られている。でもそれをするには、私自身が再び子供に戻らなければなるまい。

マグロ喰いたし、絶滅避けたし

[はじめに:私は極く平均的な日本人です。幼い頃から魚介類を中心とした食生活で育ち、当然のようにマグロやアジのスシを好んで食べ成長しました。それから半世紀、特に気にも止めていなかった自然界に様々な変化が起こり、環境問題が深刻に討議されるようになった今日この頃、大洋の生物も例外なく多大な影響を受け、その存続が危ぶまれています。

2009年11月9日付けのニューヨーク・タイムズ紙は社説で、東部大西洋や地中海におけるクロマグロ(bluefin tuna)の危機を訴え、今の内に対処しないとマグロの絶滅は必至だから、その保護のためには各国政治家の協力が必要だと呼びかけています。
同月21日には、再び同社の社説で、その前の週にブラジルで会合したマグロの漁獲制限に関する国際委員の提案が否決されたことを憂慮しています。それは、従来の漁獲制限2.2万トンから、2010年には1.35トンに制限することを裁決はしたが、その量は海洋生物学者達が提案した数字を遥かに上回っていたもので、その数に密猟、密輸を加えたら、クロマグロの絶滅は必至で、今全面的な禁漁にして存続可能な数まで復活させてから漁獲を再開するという手段が必要だと主張しています。

そして今年、去る3月19日、クロマグロ輸出入禁止案が国際会議で否決されました。提案した国々と、反対した国々では完全に相反する事情があることは理解できます。でも、理解は理解として確実な将来、、、今のままでは、我々の世代はマグロで舌づつみを打てるでしょうが、次の世代にはマグロは過去の遺物になってしまうでしょう。
私には、次世代にマグロの味を堪能させるために、今マグロ食を控える覚悟は充分にあります。

以下は、輸出入禁止案に反対した日本と、輸出入禁止案を提案したアメリカの報道記事です。どちらに同意するかは読者の良識にお任せいたします。編集;高橋 経]
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毎日新聞3月20日付け(原文のまま)
クロマグロ:禁輸否決…日本、情報戦に勝利

大西洋(地中海を含む)クロマグロ(bluefin tuna)国際取引禁止案は、ワシントン条約締約国会議の第1委員会で圧倒的な反対多数で否決された。日本は劣勢とみられ たが、ふたを開けてみれば賛成票は可決に必要な有効票の3分の2に遠く及ばず、欧米メディアも「日本の明らかな勝利」と評価。予想を覆す結果は日本の周到 な根回しに加え、自国産業への打撃を懸念する途上国の動きや陰の主役中国の影響力があった。  

「意見が出尽くしたのなら、直ちに採決すべきだ。」カタール・ドーハ(Doha)で18日午後(日本時間同日夜)に開かれた第1委員会。各国の意見表明が一巡 したところで、マグロの蓄養が盛んなリビア代表
(Libya)が即時採決を求める動議を提出した。スーダン(Sudan)も同調し、採決の結果、賛成が72票と反対の53票を上回っ た。

「5票以内ぐらいの差で決まる。」5日の会見で赤松広隆農相は情勢の厳しさを強調した。欧州連合(EU)加盟27カ国が禁輸賛成で足並みをそろえ ることが確実視されていたためだ。ケニア(Kenya)などアフリカ23カ国も水面下で、EU「象牙禁輸延長を支持すればクロマグロ禁輸に賛成する」と持ちかけてお り、否決に必要とみられる50票の確保は難しい情勢だった。


水産庁は2月ごろから、OBら6人を政府顧問としてアフリカなど途上国を中心に派遣、多数派工作を展開した。しかし、顧問の一人は2月下旬、毎日新聞の取材に「漁業当局の人間は理解してくれても、それが政府全体の意見ではないことも多い」と漏らした。水産庁幹部は「終盤までもつれる」と長期戦を念頭に準備を進めていた。


だが、サメ類の規制強化に関する議案が16日、日本やロシア、中東諸国などの反対により大差で否決されたことをきっかけに代表団は「この勢いなら マグロ禁輸の否決も可能」との判断を強める。20日過ぎに米国が大型代表団を送り込み、多数派工作を始めるとの情報もキャッチすると、赤松農相「おれが 責任を取る。勝てるなら一気にやれ」と指示した。


リビア
動議の採択後、EU案、モナコ(Monaco)が採決され、いずれも否決。モナコ案の投票総数は118で、反対した68カ国にはアフリカ諸国が目立った。 一方、賛成票はEU加盟国数を下回り、棄権30カ国の多くが欧州諸国であることをうかがわせた。米国の多数派工作が成功し、アフリカ諸国などが賛成に回っ ていれば、禁輸が採択されかねない「薄氷の勝利」だった。

採決の動議を提出したリビアなどに加え、同じアジアのマグロ漁業国である中国や韓国の存在も大きかった。特に中国は原油や鉱物など資源確保のた め、アフリカを徹底支援。赤松農相は16日の会見で「中国も他の国に働きかけてくれている」と述べた。【行友弥、ブリュッセル福島良典】
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3月19日付け、ニューヨク・タイムズ紙、社説
(日本の) 漁業工策、再び勝つ

昨日はクロマグロにとって厄災の日だった。

ドーラで開かれた、ワシントン条約締約国会議において、モナコアメリカ合衆国から提案された絶滅の危機にあるクロマグロを主にする魚類の国際取引禁止案は、落胆の極みともいうべき不均衡な投票率で否決された。この禁止案は以前にも大差で否決されている。国際的に絶滅の危機が迫っている生物の中で上位にあるクロマグロの輸出入に関する欧州勢の穏やかな行動で、禁止案の裁決はすでに一年も遅延してしまった。

投票は、発展国と発展途上国との間に引かれた線で二分された。だが、間違いなく、否決の票が上回った陰には、日本の飽くなき工策による根回しが大きく働いた。日本人は世界が消費するクロマグロの80パーセントを消化しているため、チュニジア
(Tunisia)のような貧困国から、常時マグロを供給させて需要を満たさねばならない。

禁止案の内容では、日本が自国の領海内でマグロを捕獲する限りにおいて、何らの制限をつけてはいない。だが日本国内の需要を満たすためには、チュニジアや、他のアフリカの国々を通して、東部大西洋地中海で捕獲されるマグロを不法に輸入する必要がある。


消費者の需要に応じて商業価値の高い
生きの良いマグロを、従来通りに供給を確保し続けていたのでは、マグロが遠からず海洋から姿を消してしまうことに目覚め、資源保護のために乱獲を慎むべきである。

残存するマグロの数は既に著しく減少している。1957年から2007年までの50年間に、70パーセント以上が消滅した。2000年からの10年間には60パーセントが捕獲されてしまった。こうした恐るべき事実は、ことマグロ、サメ、サケ、などの種族保存に関する限り、商業価値を優先する人々には馬の耳に念仏でしかないらしい。

次の国際会議の委員たちの総会は、30ヶ月先まで開かれない。そして、大西洋クロマグロの種族保存や生存可能な数まで増加させる努力をする責任は、全て国際会議の委員たちの肩にかかっている。

前回、ブラジルでの委員の総会では、、、それまで何年もの間、乱獲を阻止することができなかった、、、ある程度の捕獲制限が合意に達したが、委員会の生物学者達が提唱する捕獲の一時停止とはほど遠いものでしかなかった。委員会は来る11月に会合する。日本側は、新しく設定される捕獲量を受け入れるだろうが、他の方策で種族の減少を否認するであろう。

我々は、それを指をくわえて見過ごすわけにはいかない。

2010年3月21日日曜日

黒沢明:生誕100年記念


ターナー・クラシック・ムービーズ(Turner Classic Movies: TCM)という古典映画専門のテレビ・チャンネルがある。1903年の列車強盗』の無声映画から始まり、チャップリン(Charlie Chaplin)、ロイド(Harold Lloyd)、等の喜劇からメリー・ピックフォード(Mary Pickford)、ヴァレンチノ(Rudolf Valentino)等、美男美女が演ずるロマンス物まで、コマーシャル無しで24時間放映し続けている。私の如き、昭和ヒト桁人種にとっては、宝の山に寝そべり回顧に耽って極楽の境地を味あわせてくれる素敵なチャンネルである。

そのTCMが過去2週間にわたって黒沢明:生誕100年記念と銘打ち黒沢明監督の旧作を立て続けに放映してくれた。黒沢明:1910年3月23日〜1998年9月6日(明治43年〜平成10年)]その作品は、、、


(左から)★ 1948年作酔いどれ天使 ★ 1949年作野良犬 ★ 1950年作醜聞スキャンダル ★ 1950年作羅生門
★ 1951年作白痴 ★ 1952年作生きる★ 1954年作七人の侍 ★ 1955年作生きものの記録
★ 1957年作蜘蛛巣城 ★ 1957年作どん底★ 1958年作隠し砦の三悪人★ 1960年作悪い奴ほどよく眠る
★ 1963年作天国と地獄★ 撮影中の黒沢明 ★ 1965年作赤ひげ

などであった。いずれも私が青春時代に鑑賞した作品ばかり、当時の感激を新たにと、
私は何をおいてもテレビの前に坐りこんだ。

全て、モノクロ(『天国と地獄』の部分カラーを除き)、半分がワイド・スクリーンである。配役は三船敏郎、志村喬、森雅之、仲代達矢などの男優が主な常連で、女優には常連がなく、田中絹代、山田五十鈴、京マチ子、原節子、木暮実千代、山口淑子、香川京子、などが一作あるいは二作限りの出演であった。いずれも今の世代にとっては聞き慣れない名前ばかりだろうが、半世紀前には一枚看板の売れっ子俳優揃いである。


画面を通して当時の世相を追想した。戦後間もない貧困な混乱時代(『酔いどれ天使』、『野良犬』)、それから経済的な発展(『醜聞』)、非生産的なお役所仕事(『生きる』)、公団と業者が結託した汚職事件(『悪い奴ほど』)、新幹線を利用した犯罪(『天国と地獄』)、などがそれぞれの作品に浮き彫りにされている。多分に反ハリウッド映画、イタリアのヴィットリオ・デ・シーカ(Vittorio De Sica)、フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini)、ロベルト・ロッセリーニ(Roberto Rossellini)等のいわゆるネオ・リアリズムの影響を強く受けていたようだ。観客の目からは、そうした社会現象に対する黒沢の批判精神が作品の根底を流れていることが明瞭にうかがわれる。

時代ものには、そうした批判精神は直接表われてはいないが、その代り黒沢は人間の(ごう)』を容赦なく観客に突きつける。『羅生門』などは、芥川龍之介の才知に溢れた原作に負うことも大きいが、そうした特異な心理描写が買われてグランプリ賞を獲得したのであろう。


全て観終わった後の私の感想は、正直な所「当時の感激を新たに」する代りに、半世紀の隔たりを感じさせられた。主な理由は題材そのものより、黒沢の映像表現が古色蒼然として時代遅れだったからである。


一つには、1950年から1960年代にかけて、ハリウッド映画でもそうだったが、テレビの急速な普及に対抗して大型スクリーンを採用し大きさ、広さでテレビを圧倒しようと企てた。そのため映画の利点である接写:クローズアップや、迅速な場面転換を犠牲にした。観客側から全体は見えるが、細部の描写が見えなくなった。


二つには、「広い画面」で劇を進行させるため、勢い舞台演技の基本に従うことになる。映画作りの上で、これが台詞(脚本)の面で障害になった。舞台俳優は、観客に聞こえるように発声し、また台詞もそれに相応しいように書かれる。一方、映画では二人の登場人物が交わす会話を、状況に応じて『ささやき合う』ことができる。そんな状況にも拘らず、大声で話し合っていたのではムードが台無しだ。


三つには、映画には映像という武器があるにも拘らず『悪い奴ほど』ではその長所をしばしば無視し利用していない。汚職に関連した役人がビルの窓から飛び降り自殺をした、というショッキングで事件の鍵でもある場面を、台詞で説明させているだけで、その映像がない。またそのクライマックスとも言うべき、悪人が逆襲するというアクションに満ちたシーンを見せず、生き残った刑事にその経緯を一部始終しゃべらせている。映像の迫力に欠けることおびただしい。

最後に、黒沢制作意図は映画を観れば一目瞭然、言わずもがな。然るに『羅生門』ではラスト・シーンで僧侶に「世の中が悪い、、、」と説明させ、『七人の侍』では「最後に勝つのは百姓、、、」と言わせ、『天国と地獄』では犯人に長々と独白させている。いずれも観客が疾っくに感じていることで、台詞で説明する必要は全くなかった。


思わず、巨匠黒沢明をこき下ろしてしまったが悪意はない。折角国際的に認められた作品の数々、もっと素晴らしくできたら、という一人のファンの空しい欲だと思し召し、お赦しいただきたい。 高橋 経
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追記:
3月23日は黒沢明誕生100年記念の当日、TCMでは早朝6時から、翌24日の朝7時まで黒沢作品の旧作姿三四郎(1944年)』からどですかでん(1970年)』まで10数本、
休みなしに上映します。もしTCMと繋がっていたら、スケジュールをお確かめの上、ご鑑賞ください。

2010年3月19日金曜日

追憶:フェス・パーカー

アラン灰田 (Alan Haida)
2010年3月19日、ホノルル発

今から15年か20年ほど前、中部カリフォルニアで地震の被害があった。その直後私は、仕事でサンフランシスコ近辺に滞在していた。たまたま、ホノルルで不動産を扱っている友人から電話を受けた。彼女から私への提案は、サンタ・バーバラ(Santa Barbara)に近いモンテシト(Montecito)へ飛び、ホテルを売りに出しているオーナーに会って、買い手を捜してあげてくれ、ということだった。


当時はまだバブル崩壊前で、日本人が矢鱈に海外の不動産を買い漁っていた時期だった。小さな飛行機でモンテシトに着き、オーナーのフェス・パーカー(Fess Parker上の写真)に紹介され、彼は私を案内してホテルの施設を見せてくれた。その途中で、滞在客が彼に挨拶をし、サインを求めていたのを見て、改めて彼が、かつてデヴィ・クロケット(Davy Crockett) や、ダニエル・ブーン(Daniel Boone)の役を演じた有名な俳優であったことに気が付いた。

その後で、地元では由緒あるプライベート・クラブのサン・シドロ・インで晩餐に招待された。私のパーカーに対する印象は、温厚で立派な人柄という一語に尽きる。


彼の訃報を読み、初めて彼があの近郊に1,500エーカー(約6.1平方キロ)ブドウ園(上の写真はその一部)を持ち、上質のワインを生産していたことを知った。謹んで紳士フェス・パーカーのご冥福を祈る次第である。

フェス・パーカーの略歴

1924年8月16日テキサス州フォート・ワース(Fort Worth)に生まれ、サン・アンジェロ(San Angelo)郊外の農園で育った。第二次大戦終了の直前、海兵隊に入隊、パイロットになりたかったが、6フィート6インチ(1メートル98センチ)という長身のため不適格となった。

1950年、復員兵援護奨学金でテキサス大学(University of Texas)を卒業。余剰金があったので南加大学(University of Southern California)の演劇部を専攻したが、その頃から小さな役柄を数々与えられたため、学業に専念できず修了できなかった。


1953年、ウォルト・ディズニーの劇映画、アメリカ開拓時代の英雄デヴィ・クロケット(左上)役に抜擢され、世界的に大当たりした。また1954年から1955年にかけて、同名のテレビ、シリーズにもクロケット役で連続出演、大スターの地位を確立した。役柄で被っていたアライグマの帽子は、子供のファンに受け、流行を生んだ。漫画のチャーリー・ブラウン(Charlie Brown)までがその帽子を被っていた程である。

続いて1960年代には、これもアメリカの開拓時代の英雄ダニエル・ブーン(右上の絵の先頭を歩く人)役を演じ、入れ替わった若年層から熱狂的なファンを獲得した。


こうした相次ぐ成功で得た財で、パーカー(左の写真、後列左から3人目)はカリフォルニア州、サンタ・バーバラ郡のサンタ・イネツ峡谷(Santa Ynez Valley)に714エーカーの土地を購入し、それ以来彼と彼の家族の生活が一変した。1989年当時、フェスと息子のイーライ(Eli:左の写真の左端)はブドウ園を作り、収穫物を近隣で販売していたが、娘のアシュレィ(Ashley左の写真、後列左から2人目))「お父さんはテキサス生まれのテキサス育ちだから、計画は大きくしましょう」と提案し、現在のロス・オリヴォス(Los Olivos)にある1,500エーカー(約6.1平方キロ)のブドウ園となった。

3月18日に死亡。85才。死因は公表されていない。

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◆ ダニエル・ブーンの歌:2分
◆ ブドウ園の展望:6分余り

2010年3月15日月曜日

老人にハイテクの恩恵

AARP、3月号より

ハイテク利用で、アメリカ人の老後が愉しくなる


第二次大戦後に生まれた世代を、アメリカではブーマーズ(Boomers)』と呼んでいる。発展途上の好景気の時代に育ち、ベトナム戦争の反戦運動時代を経て社会人になり、良い職に就き、高収入を得て家族を持ち、ゆったりした住居を購入した。言うなれば、アメリカの繁栄を享受していた世代である。

その世代が要職から徐々に引退し始め、年々老人になりつつある今日この頃、彼らの実態やその将来をAARP(American Association of Retired Persons)
マイクロソフト(Microsoft)昨年、協力して調査を行った。その調査によると、過去10年間に『ブーマーズ』は、生活を豊かにするハイテクの器具、、、例えばケイタイ電話、MP3のようなデジタル音楽、ナビゲーション受信などを含む、、、を数々利用し、友人や親族と脈絡を保ち、仕事や他の情報を交換吸収することによって彼らの健康を管理していたということが浮き彫りにされた。

では、今から10年後にはどのようになるであろうか? その予測は図解で:


1. 情報通メガネ(Streaming Lenses):マスコミのニュースから電子メールに至るまで、あらゆる情報やデータが目前に流れるように映し出されてくる。

2. 運動着(Exercise Clothes):体調を計るセンサーが各部に内蔵され、運動量によるカロリー消費量や脈拍が記録される。


3. 健康状態を記録するチップ(Health-Record Implants):微小なチップを皮下に移植し、当人の健康状態を医者がオンラインで観察できる。


4. モービル貨幣(Mobile Money):何時でも何処でも、ケイタイ電話を使い、スキャナーを通して金銭の授受ができる。ポケットや財布をま探る世話がない。


5. 有能な家屋(Smart Houses):あらゆるセンサーが設置され、人の動きを捉え、太陽熱を蓄積し、電力の消費量を調節し、屋内での足取りを記録し、何か気が付かないでいることを警告してくれる。


6. 投影電話(Phone Projection):ケイタイ電話に記憶されている写真や文字の映像を、壁やスクリーンに投影し、他の人に見せることができる。


7. ビデオ会議(Video Conferencing):既に広く実施されているが、オンラインの会議だから、全員が一カ所に出席する必要がない。


8. 体育用ビデオ・ゲーム(Physical Video Games):テニス、ピンポンなど、相手がいなくても幻影を相手にし、独りでゲームが楽しめる。


9. 家政ロボット(Domestic Robots):洗濯機、皿洗い機、コーヒー沸かし器の操作なら、この電子助手に任しておける。


イラストはハリー・キャムベル(Harry Campbell)

2010年3月13日土曜日

眠れ、眠れ、眠れ良い子よ

下に掲げた写真は、ジョセフ・グレー(Joseph Grey Jr.)から転送されたものです。因みに、ジョセフの娘は、子供の頃から動物が好きで好きでたまらず獣医になった、という女性です。従って、 下掲は彼女が収集した写真ではないかというのが私の推測です。説明は必要ないと判断し、省略いたします。














2010年3月12日金曜日

プラチナのベンツ

[自動車の話題が続きましたが、もう一つ自動車の話題をお送りいたします。ジョー・グレー(Joseph Grey, Jr.)から転送されてきました。出所はExoticsOnRoad.comです。変わった車にご興味がありましたら、覗いてご覧になるのも一興でしょう。編集]

「不況? 何だその『不況』って言うのは?」

不況が世界的に覆っている世の中で、誰もが多かれ少なかれ経済的な圧迫を感じている時代だが、いつもながら例外がある。 その『不況』にまるで縁のない人々が、お金の使い道に困った挙げ句、特別注文して購入したメルセデス・ベンツ(Mercedes Benz)がその一例だ。その人とは、当然のことながら、アラブ首長國連邦の首都、アブ・ダビ(Abu Dhabi)に住む億万長者である。

このメルセデス・ベンツの主な仕様:
★ V型10気筒、1,600馬力、トルク2,800nm、クオド・ターボ、エンジン搭載
★ 0から
加速し時速100キロまで2秒以下
★ 400メートル通過まで7秒以下

★ バイオ燃料使用

★ 車体の板金は純プラチナ

★ 価格:不詳なれど、ずば抜けて高価だったことは確か


私には関係ない話ですって?
とんでもない、自動車を運転なさる方々全てに関係大あり。
左様、あなた方がガソリンを使用する限り、それに支払う代金の大部分が、これら不況とは縁がないとうそぶいている人々の懐を限りなく肥やしているのである。言うまでもないが、石油会社が漁夫の利を得て膨大な利益を上げている事も付け加えておく。

2010年3月8日月曜日

新ビッグ・スリー

従来『ビッグ・スリー』と言ったら、アメリカの三大自動車会社、GM、フォード、クライスラーを意味していた。近年トヨタ自動車は、その目覚ましい発展で一時、世界一の販売台数を達成したので、新しいビッグ・スリーにのし上がり、瀕死のクライスラーは、『ビッグ・スリー』から脱落という憂き目に会ってしまった。

では、その『新ビッグ・スリーGM、フォード、トヨタの業績状況はどうなっているのだろうか?それはニューヨーク・タイムズ紙がまとめた下記三つの概況表によって、一目瞭然、ご理解頂けると思う。

第一の表:消費者から苦情の推移

品質を誇るトヨタが一貫して苦情が2000件内外と少ないが、2004年から2007年にかけて欠陥車の続出で苦情が増えてきた。それに反して、GM、フォードは、2000年当時、1万2千から1万4千と多量の苦情が寄せられていたが、年を追って品質が改善され、先月の半ばにはゼロ近くまで向上し、トヨタを凌いだ。

第二の表:アメリカ市場での販売占有率
2000年以来、GM、フォードの漸減推移に反して、トヨタは漸増、2007年にはフォードを追い越し、この表には出ていないが、一時GMも追い越して世界一となった。

第三の表:消費者の採点
ナショナル道路交通公団(National Highway Transportation Administration)の統計に基づき、消費者リポート(Consumer Reports)がまとめた自動車に関する消費者の評価順位である。売り上げ台数はともかく、ホンダスバルが一位、二位を占め、トヨタは欠陥車で評判を落としたが、三位を確保した。フォードはあえなく11位、GMは更に下がって13位、辛うじてクライスラーの上に立った。五位のニッサンが、95パーセントという消費者リポートの高い評価を獲得し推薦』項目のトップに立っているのが注目に値いする。

この調査は、消費者が3年間所有していた車を対象として行われたので、品質向上前のアメリカ車が含まれており、フォード、GMが下位に落ちたのだと思われる。品質が更に向上するであろう将来には、多分上位に復活するであろう。

回収されなかったトヨタ車

はじめに、誤った観念2題

アメリカで、あるトヨタ車のアクセルが運転者の意志に反して加速し、高速で突っ走って転覆、重大な人身事故となった。その詳細はさておいて、この事故が引き金となり、8百万台以上ものトヨタ車が回収され、連日のようにその成り行きがマスメディアで報道され続けている。つい最近、トヨタ自動車の最高幹部たちがアメリカの議会に喚問され、トヨタ三代目の会長が公けに謝罪する羽目に陥った。
その間に、誤って植え付けられた観念が二つ浮上した。

その1:数日前、BBCテレビのニュース解説で、日本の『自動車経済専門家と称する日本人の男性を招き、彼の観測を聞いていた。かの『専門家』は、訥々と事態の深刻さを語り、最後に「この回収事件は、アメリカの『自動車会社を運営する政府』が産業を蘇生させるため、トヨタを没落させて、アメリカ車が売れるように企んだ陰謀である」と言明した。それを聞いていた私は開いた口が塞がらなかった。もしこんな解釈を一般の日本人が同感しているとしたら大変な間違いである。
確かに、アメリカ政府は一年前、ビッグ・スリーの会長達の懇願に応えて、膨大な金を貸した。しかしオバマ政権は、貸した金は返してもらう約束は交わしたが、自動車会社の運営に首を突っ込む意志は全くない。内外共に多難を抱え過ぎているからでもある。

その2:私の友人数人が、トヨタのプリウス(左の写真)を愛用している。私はその一人に「貴女のプリウスの具合は如何ですか?」と尋ねたら「私のプリウスはメイド・イン・ジャパンだから大丈夫」という答えが返ってきた。それを聞いて、なるほど、アメリカ製のトヨタに欠陥があったのかと私は納得したが、やがて、その観念には裏があることを知らされた。

それが、今回ニューヨーク・タイムズに掲載された下記の記事に詳しく説明されていたのである。

アメリカで8百万台以上のトヨタ車を回収:
だが日本では皆無


田淵ひろ子

3月5日付け、東京発

イノウエ・マキコカミイズミ・ヤスコが取材に協力

サカイ・マサコ(64才)夫人が、半年前に起こった事故を振り返ってその顛末を話してくれた。雑踏する交叉点で、彼女が運転するトヨタマークX、ステーション・ワゴン(右はマークXのセダン)が、突然走り出し、強くブレーキを踏んだが片輪になったよう」で、低速ギアに入れ変えたが何の効果もなく、その他できるだけのことをしてみたが、どうにもならなかった。

車はそのまま1000メートルほど突っ走り続け、メルセデス・ベンツとタクシーに衝突してやっと止まった。いずれの運転手も大怪我をし車は大破、自分は首の骨を折ってしまった。事故そのものもゾッ
とする思い出だが、その後始末が驚くべき失望の連続だった。車を購入したディーラーを通してトヨタに苦情を訴えたが、何の反応も返ってこなかった。

また『その筋(警察)の消費者への対応も、トヨタと同じで何もしてくれないばかりか、東京警視庁では、係の警官がサカイ夫人(左の写真)「間違ってアクセルを踏んでしまった」という調書に署名するよう勧告した。当然、彼女は係官に「間違いではない」と主張したが彼は「もしこの調書に署名すれば、破損した車の修理をしてもらえる」と重ねて署名を迫った。彼女はあくまでも拒否した。警官も折れず、彼女の車は警察側で検査を受けることになった。


サカイ夫人によると、日本の消費者権運動は存在するが瀕死の状態で、日本人消費者の苦情は大企業のために握り潰されてしまう。つまり社会構造として、消費者の安全保護より、企業の利害問題の方が優先しているそうだ。


トヨタ車に関する苦情を扱っている東京のタカヤマ・シュンキチ弁護士「日本には昔から『臭いものにはフタ』という消極的な態度があります」と言う。(編集註:『長いものには巻かれろ』という言喭もある)


トヨタ社は、海外市場で8百万台以上もの車を不測の加速や他の欠陥で回収したが、日本国内で販売した車には機構的に何ら問題がない、と主張している。その最中に(アメリカでは)今年の始め、プリウスブレーキに欠陥が問題となり回収された。


自動車評論家たちは、多くの日本の企業は消費者保護政策が手薄な事情を享受している、と観察する。事実、日本全国で自動車の欠陥回収に関する検査官はたった一人しかいない。その一人を制限付きの契約で15人が補助しているだけに過ぎない。


食品産業の場合、2008年に倒産したミート・ホープ(Meat Hope)という加工肉業者は、豚肉、羊肉、トリ肉を混合し、『牛肉と称して売っていた。全て、食品検査官の目の届く範囲内で行われていたのである。


2006年には、パロマという商標の湯沸かし器が、10年間に及ぶガス漏れの欠陥が原因で21人が一酸化炭素中毒で死亡するという事件が警察沙汰になった。当初、パロマ側は、使用者が湯沸かし器の安全装置を破損したのだ、と主張していたが:最終的に器械の欠陥を認めた。しかも会社の首脳部は10年以上も欠陥の可能性を承知していたということだ。目下、同社の幹部は「責任を怠った」罪状で、来る5月に下る法廷の判決を待っている。


さて自動車だが、1960年代から1970年代にかけて急速に発展した自動車メーカーと相俟って急増した自動車オーナーの間で事故死が頻発した。そうした中で、欠陥車が原因だった被害者たちの総意に基ずき、幾つかの消費者運動が生まれた。最も活動的だったのが元日産自動車の技術者、マツダ・フミオ(右の写真)が主導する日本自動車消費者連盟( the Automobile Consumers Union再訳)』であり、一部で日本のラルフ・ネーダー(Ralph Nader)』と呼ばれていた。

そうした動きに対してメーカー側では、消費者運動家たちを危険な扇動者と呼んで壊滅するキャンペーン体勢を整え、逆に攻撃した。マツダ氏とその弁護士達は脅迫』の容疑で逮捕され、最高裁判所へ提訴して反論したが敗れた。


今日では、誰も逮捕される危険を冒してまで大企業と争う勇気のある者はいない。マツダ氏「政府や官僚たちは企業の味方で、消費者を助けてはくれません」と言う。


国立消費者専門家協会(the National Association of Consumer Specialistsの再訳)』の幹部で、欠陥車回収に関する政府の
相談役だったイソムラ・ヒロコ「自動車オーナー達は、こと欠陥車にどう対応するか、という段になると困難な立場に置かれます。『日本自動車消費者連盟』は事実上解散させられ、それ以後(消費者団体は)皆無になってしまったのです」と言う。

政府にしてみると、回収を指示するには、その自動車が、国家が設定した安全基準に沿っていないことを証明する必要がある。その証明をするには自動車メーカーの協力がなくてはできない。従って、メーカー側が自発的に回収する以外、政府が介入する余地がないというのが実情である。

ニューヨーク・タイムズが探索した(アメリカの)運輸省(The Transport Ministry)の記録によると、2001年以来(運転者の)意志に反して加速、またはエンジン回転が急速に』なったトヨタ車が99件報告され、内31件が衝突事故を起していたことが判った。


自動車評論家タカヤマ氏によると「日本の自動車メーカーは、生温い規制のお陰で、突然加速車の欠陥事実に関する報告は、因習的に公式記録に載せないので一般の耳目には届きません。従って、実際の欠陥車数は遥かに多いでしょう」とのことだ。


東京の交通事故調査とデータ分析学会(Institute for Traffic Accident Research and Data Analysisの再訳)によると、2008年、6,600件の事故が起こり、30人が死亡したが、殆ど運転者がブレーキとアクセルを踏み違えたためだと判断され処置されている。 タカヤマ氏突然加速について論議を重ねたが、彼の結論は事故を運転者の過失として非難する習慣は、どんな状況の事故でも当たり前のようになっています」とのことだ。

元日本共産党の法律家で、2002年にこの問題を国会に提出して追求したセコ・ユキコ「規則を作る人達は、自動車メーカーが体面を維持しようとする姿勢に妥協しています」と語る。(左はトヨタ本社)

警視庁の当該の係官は、(上記サカイ夫人の『調書』に関する)ニューヨーク・タイムズ紙の質問に答えて「全ての自動車事故の検証において、我々は常に公正で透明さを旨としているから」と前置きし、運転者の過失だったと告白させようと圧力をかけたことはないと、調書の事実を否定した。では一体誰を非難したらよいのか、日本には検査官がいないのだから、真相を掴むのはまず不可能だ。

日本の組織的な寛容さは、自動車メーカーにも浸透し、アメリカで販売されている自動車にも、或る面での安全基準がしばしば無視されていたようだ。1990年代の初期まで、日本国内で販売される車には、アメリカで安全基準として義務付けられている(車の外壁部に取り付ける)強化バーが付いていなかった。自動車評論家によると、安全性を削った分だけ、自動車メーカーの利潤が増え、それを輸出増進の費用に当てていたのだそうだ。


タカヤマ氏セコ氏のような数少ない自動車評論家が、過去数年来、トヨタや他の日本車が起した突然加速について告発し続けてきた。1980年代の後半に初めてオートマチック・トランスミッション装備が発売された後で、トヨタは電子システム内部の溶接部が損傷し突然加速が起きたたことで5車種のモデルが回収され、綿密に調査されたことがある。


1988年、政府は全国的な調査や試走を発令し、自動車メーカーにブレーキが常に優先してアクセルの加速を抑える安全保証システムを作るよう勧告した。あれから20年以上も経った今月、やっと、トヨタは全ての新型車にブレーキ優先システムを装備することを約束した。


一方トヨタ社の、ガソリンと電力併用のハイブリッド、プリウスは、同社の世界的な回収スキャンダルにも拘らず、2月には最高の売り上げを示し、日本の自動車市場の30パーセントを占める販売量を確保した。

だが将来、日本の戦後における産業優先政策は改善されるであろう。


2009年に交代した鳩山新政府が前進的な政策を掲げ、消費者関連事務局(The Consumer Affairs Agencyの再訳)を新設し、欠陥製品、不良食品、製品の不正表示などに目を光らせることになろう。


新政府の前原誠司(まえはら せいじ)国土交通大臣トヨタ社に対して率直な発言をしている。先週、同大臣は自動車業界の監査を強化し、安全監査官を増加する意向を示した。政府はまた、2007年から2009年にかけて起きたトヨタ突然加速車に対する38件の苦情と、他社の96件の苦情を調査し直すということだ。


トヨタ社側は、未だに日本での突然加速の事実は否定し続けている。


トヨタ社の品質管理のササキ・シンイチ部長は記者会見で「確かに日本で突然加速の事実はありましたが、我々はその都度調査し、車自体には(機械的に)何の問題もなかったと信じています」と答えている。 サカイ夫人トヨタの販売店トヨタ自動車に電話したり、訪ねたりしたが、未だに何の回答も得られないままだ。

トヨタ社イワサキ・ミエコ報道担当は、9月に同社が突然加速事故の苦情を訴える人々に連絡をとったことを確認したが、会社側がどのような対処を行ったかについては全く触れなかった。そして「我々は警察と共に調査に当たり、全面的に協力を惜しまず、我々が判ったことは全て警察に報告しています」とも語っていた。